13世紀から14世紀にかけてユーラシア大陸を席巻したモンゴル帝国。世界最大の領地を実現した秘密は、蒙古騎兵と呼ばれる精強な騎馬軍団でした。
しかし、騎馬民族はモンゴルだけではありません。一体どうして、モンゴルだけが世界最大の領土を獲得できたのでしょうか。今回は蒙古兵の強さの秘密に迫ります。
この記事の目次
蒙古兵の強さの秘密1:生まれつき、全員が兵士である
モンゴル人の男は、ほぼ例外なく騎兵でした。何故なら遊牧生活では、馬に乗れないと生活していく事が出来ないからです。モンゴルの少年は、幼くして馬に慣れ乗馬し、家畜を操作して矢を放って獲物を獲ります。そして、獲物を人間にしてしまえば、それはそのまま騎兵に早変わりしました。
一方、農耕民の国家では、熟練した騎兵を大勢確保するのはお金と時間がかかる大変な事でした。この根本的な軍事力の優位がモンゴルにはあったのです。
蒙古兵の強さの秘密2:中央集権的な軍制
モンゴル以前の騎馬民族は、部族長に部族の全てが従う体制でした。これだと、何らかの理由で部族長が倒されると、その下の騎兵は統率を失い四散します。
そこで、チンギスハンは、腹心の僚友(ノコル)に征服した遊牧民を領民として分け、これにチンギスと同盟して服属した諸部族の指導者を加えた領主階層を貴族(ノヤン)と呼ばれる階層に編成しなおします。
最上級のノヤン88人は千人隊長(千戸長)という官職に任命され、その配下の遊牧民は95の千人隊(千戸)と呼ばれる集団に編成されます。また、千人隊の下には百人隊(百戸)、十人隊(十戸)が十進法に従って設置され、それぞれの長にもノヤンが任命されます。
これにより、騎兵隊は部族長の私兵から、モンゴル帝国に帰属する騎兵になり、それぞれの長が倒れても、次の騎兵が補助に入り崩壊しなくなったのです。
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蒙古兵の強さの秘密3:遊牧民同士の抗争で鍛えられる
モンゴルは、女真や契丹のような別の遊牧民と抗争を繰り返しており、それがそのまま戦闘訓練になっていました。また、秋になり農耕民族の収穫期になると、都市を襲うなどして城塞都市の攻略法など、バラエティに富んだ戦い方を学ぶ事が出来たのです。
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蒙古兵の強さの秘密4:高い機動力
蒙古兵は軽装の騎兵が主力であり、生活の全てを牛馬や羊の家畜に頼っていました。遠征時には、これらの家畜は動く食糧となり、騎兵と同時に高速で移動する事が可能だったのです。
戦いにおいては、いかに素早く兵力を集中し、敵が兵力を集中しない間に撃破するかが重要ですから、歩兵や鈍重な重装騎兵が多かった土地では、モンゴル騎兵の機動力に圧倒され、敗れ去ったのです。
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蒙古兵の強さの秘密5:アウトレンジ戦法で勝つ
狩猟民である蒙古騎兵は、強力な飛距離を持つ弓を装備していました。これにより、敵の弓の射程に入る前から一方的に矢を浴びせる事が可能だったのです。いわばアウトレンジ戦法で、蒙古騎兵は敵兵を削減し、敵の陣形が崩れてから重騎兵を突入させて勝利をしていました。
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