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プラン崩壊後、自分にネバギバ!
そして、孔明のネバギバは最後には自分に向けられました。
本来は、荊州と益州を支配する事が、劉備が天下を獲る最低条件でしたが、荊州南郡を支配していた関羽が、魏の襄陽城と樊城を包囲している時、密かに魏に通じていた孫権の配下の武将、呂蒙が関羽を裏切り、背後から南郡を攻撃して占領してしまったのです。
おまけに関羽は戦死してしまい、劉備は義兄弟の死に激怒して呉に攻め込んでしまい、呉の名将の陸遜に火攻めで敗れて、蜀に逃げ帰り後悔の末に病気になり死んでしまいます。
孔明は劉備の息子の劉禅を支え、失った荊州に代わるネバギバ戦略を提案しました。
それが蜀から魏を積極的に攻め、時には呉と連動して領土を奪うというプランで、これは北伐と呼ばれ、都合5回も繰り返されます。しかし、国力差や補給の乏しさで、北伐はことごとくうまくいかず、孔明はネバギバを唱えたまま、西暦234年に五丈原で魏の大軍とにらみあったまま病死するのです。
諦めるな、ネバギバ!を自分に言い聞かせた末の壮絶な死でした。
『新解釈・三國志』ネバギバ孔明の見どころ
孔明はただ賢いだけではなく、真面目で粘り強く、またポジティブな人物です。『新解釈・三國志』では、ムロツヨシが演じる孔明も、ポジティブすぎて、劉備を苛つかせつつも、その知略を使い、赤壁の戦いを勝利に導くのでしょう。
皆さんも、あきらめるにはまだ早いですよ!ネバギバ!
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