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この記事の目次
自分で自分を売った奴隷たち
このように、海外で傭兵として活躍した日本人奴隷には、戦争に敗れたり乱取りで戦利品になったり、貧困で親や家族に売られたケース以外に自分で自分を売った人間も含まれていました。
彼らは、金欲しさで、或いは借金返済の為に自分を売り、ガレオン船に乗って異国に渡り、そこで逃亡して海外に新天地を求め成功を夢見た人々です。
このような人々を奴隷商人は嫌い、最小の代金しか支払いませんでしたが、武芸を持って鳴らすこのような人々が、イスラム、ポルトガル、オランダ、いずれかの国々に傭兵として雇われていたとも考えられます。
元和六年以降、幕府が海禁策を実施
日本人傭兵や武器が、オランダvsポルトガルの戦いに利用された江戸初期ですが、それも、元和6年(1620年)以後、幕府が人身売買、武器輸出、海賊行為を禁止した為に、日本人が国外に出られなくなり、次第に下火になっていきます。
こうして日本人が海外に出られなくなると、オランダとポルトガルは日本人傭兵以外の方策を取る必要に迫られるようになります。オランダは、より巧妙に立ち回り、幕府と結んでカトリックの日本征服の陰謀を吹きこみ、ポルトガルを日本との貿易から排除する事に成功します。その後ポルトガルは、オランダの攻勢に押されて、アジア市場をあきらめ南米へとシフトしていきました。
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戦国時代ライターkawausoの独り言
一口に奴隷と言っても、その境遇は様々で、傭兵のように欧州列強に雇用され、代理戦争を戦うケースもあったとは意外でした。1世紀の戦乱に慣れた戦国の日本人は、現代の日本人とは随分違う、荒くれた殺伐とした人々だったのかも知れませんね。
参考:人身売買・奴隷・拉致の日本史 渡邊大門 柏書房(2014/4/1)