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日本人奴隷がオランダとポルトガルの戦争に参加していた

2020年12月26日


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日本人奴隷が戦争に参加(1P目)

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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自分で自分を売った奴隷たち

足軽b-モブ(兵士)

 

 

このように、海外で傭兵として活躍した日本人奴隷には、戦争に敗れたり乱取りで戦利品になったり、貧困で親や家族に売られたケース以外に自分で自分を売った人間も含まれていました。

 

彼らは、金欲しさで、或いは借金返済の為に自分を売り、ガレオン船に乗って異国に渡り、そこで逃亡して海外に新天地を求め成功を夢見た人々です。

 

このような人々を奴隷商人は嫌い、最小の代金しか支払いませんでしたが、武芸を持って鳴らすこのような人々が、イスラム、ポルトガル、オランダ、いずれかの国々に傭兵として雇われていたとも考えられます。

 

 

元和六年以降、幕府が海禁策を実施

幕末_密室政治(軍議)

 

 

日本人傭兵や武器が、オランダvsポルトガルの戦いに利用された江戸初期ですが、それも、元和6年(1620年)以後、幕府が人身売買、武器輸出、海賊行為を禁止した為に、日本人が国外に出られなくなり、次第に下火になっていきます。

 

こうして日本人が海外に出られなくなると、オランダとポルトガルは日本人傭兵以外の方策を取る必要に迫られるようになります。オランダは、より巧妙に立ち回り、幕府と結んでカトリックの日本征服の陰謀を吹きこみ、ポルトガルを日本との貿易から排除する事に成功します。その後ポルトガルは、オランダの攻勢に押されて、アジア市場をあきらめ南米へとシフトしていきました。

 

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戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

一口に奴隷と言っても、その境遇は様々で、傭兵のように欧州列強に雇用され、代理戦争を戦うケースもあったとは意外でした。1世紀の戦乱に慣れた戦国の日本人は、現代の日本人とは随分違う、荒くれた殺伐とした人々だったのかも知れませんね。

 

参考:人身売買・奴隷・拉致の日本史 渡邊大門 柏書房(2014/4/1)

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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