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自慢癖が身を亡ぼす許攸(死因は処刑)
官渡決戦は、後半は曹操がひたすら押されており、許攸の情報が無ければ滅亡するしかない状態でした。それだけに曹操を救った形になった許攸は鼻高々になります。曹操としても許攸は幼馴染であり、功労者である事から優遇もしたのでしょう。しかし、それにより許攸は増長し、曹操を子供の頃の名、阿瞞と呼び
「阿瞞よ、あなたは私を得なければ冀州を得なかっただろう」と言い放ちました。
曹操も「汝の言う通りだな」と笑いましたが、内心は顔の筋肉がひきつる思いだったようです。
その後も許攸の自慢は止まらず、鄴の東門をくぐる時に
「あの男は、私を得なければ勝利者としてこの門をくぐる事は出来なかっただろう」と左右の人間に自慢しました。この発言を密告する者がいて、曹操はいよいよ捨て置けなくなり許攸を逮捕し獄に下し処刑したのです。
三国志ライターkawausoの独り言
許攸は、お世辞にも褒められた人格ではありませんが、才能豊かであり袁紹軍のアキレス腱を的確に読んで曹操に伝え、曹操の天下統一を強力にアシストしました。それは、曹操が後に求賢令で出した「人格より才能」の人物に合致しますが、許攸は、あまりにも慎みが無くあけっぴろげ過ぎたのでしょう。
もう少し謙虚で抑制的であれば、警戒され遠ざけられても、天寿だけは全うしたかもしれないのに、惜しい話ではありますね。
参考文献:正史三国志
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