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この記事の目次
荀彧の人材評価が的中した許攸の寝返り
荀彧の励ましもあり曹操は袁紹軍の兵糧を奪う、焼くなどして対抗します。そんな中袁紹配下の参謀である許攸が曹操し投降してきます。
この許攸によって袁紹軍の兵糧が烏巣にありそこを淳于瓊率いる兵士1万人にて守っていることを告げます。
この情報を基に烏巣に奇襲を仕掛け袁紹軍の兵糧を焼き大軍を維持できなくなった袁紹は敗北します。
『三国志』魏書袁紹伝注に引く『英雄記』にて許攸は自身の策略である軍を二手に分けて片方を曹操の本陣である許都へ向けるべきとの進言を袁紹に却下されたことにより不満を持ち曹操に投降したされています。
また『三国志』魏書武帝紀においては許攸の満足できるだけの俸禄を当たることができなかったことが理由とされており。どちらにせよ許攸は自身の待遇に不満があり曹操への投降を決意したことになります。
これは開戦前荀彧が曹操に進言した許攸は貪欲で傲慢であるという評価をそのまま示した形となり曹操軍勝利の大きな因子となっています。
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まとめ
開戦前より荀彧は曹操に対して決戦をすすめ戦の途中でも撤退することなく官渡へとどまるよう助言するなど強気の姿勢を崩すことなく曹操をサポートします。結果曹操は兵糧を責めることで勝機を見出し、見事大勝を治めたことにより袁紹に成り代わり天下に最も近い男となります。
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三国志ライターボス吉の独り言
そんな曹操を精神的にも戦術的にも支えた荀彧はまさに曹操にとっての子房であり歴代の荀子にも負けない才覚を現した戦であったと言えるのではないでしょうか。
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