魏が人材の宝庫なのは荀彧による推挙のおかげ!

2021年4月22日


 

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曹操に重宝される賈ク

 

三国志の物語において曹操(そうそう)官渡(かんと)の戦い以降常に天下に最も近い存在であり強大な勢力を誇っていました。その力を支えたのは数々の優秀な文官であり曹操は独断で決めることはせず、重要なことは常に臣下に相談しながら決定してきました。

 

曹操と荀彧

 

その文官のなかでも荀彧(じゅんいくは曹操を王佐(おうさ)の才で支え天下へと導きます。

 

陳羣と曹丕

 

それだけではなく数々の有能な人材を推挙し、その人材は曹操だけでなくその息子である曹丕(そうひ)以降の魏をも支え続けます。今回は荀彧が推挙した数々の優秀な人材について紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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荀彧だからできた豊富な人材の推挙

荀彧

 

荀彧は数多くの人材を推挙し魏の基盤を作ったといっても過言ではありません。これだけの人材を推挙できたのは荀彧の生まれに関係しています。荀彧は豫洲潁陰県(よしゅうえいいんけん)の出身でありこの豫洲潁陰県は人材の宝庫でとして有名であり、荀彧はその中でも名家である荀氏の一族です。

 

 

当時はインターネットなどの情報網がなく人伝い、いわゆる口コミにて情報が人から人へと伝わっていきます。名家である荀彧は交流関係も広く当時優秀な人材の情報を数多く持っており荀彧自身も清流派の名士として活躍していました。

 

荀イクの叔父・荀爽(三公)

 

董卓(とうたく)政権下で三公の位である司空に任じられた叔父である荀爽と同じ清流派である何顒(かぎょうのような著名人物から王佐の才と評されたことが天下に広まり、その評判を聞きつけた優秀な人材と接する機会が多あったためそういった人材を推挙することができたのでしょう。

 

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魏を支えた有能有名な人物達

郭嘉を推薦する荀彧

 

荀彧が推挙した人材は三国志の物語において数多く登場します。戯志才(ぎしさい)荀攸(じゅんゆう)郭嘉(かくか)鍾繇(しょうよう)陳羣(ちんぐん)華歆(かきん司馬懿(しばい)杜襲(としゅう)杜畿(とき)辛毘(しんぴ)王朗(おうろう)孫資(そんし)趙儼(ちょうげん)・など錚々たる顔ぶれです。

 

郭嘉を曹操に推薦する荀彧

 

曹操の初期を支えた戯志才・荀攸・郭嘉、曹丕以降の魏を支えた三公である鍾繇・華歆・王朗そして曹操の時代から魏をサポートし最終的にはその魏を取って代わった司馬懿までまさに魏の中核を成した人物達でありこの人物なしで魏を語ることはできません。

 

荀彧

 

有能な人材を数多く重用しその力を基に天下最大の勢力となっていった曹操は人材コレクターと呼ばれていますがその人材は荀彧が見極め曹操に推挙してきました。つまり荀彧は人材ハンターであると言えるでしょう。

 

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荀彧特集

 

若くして亡くなった才能 戯志才

献帝を保護する曹操

 

荀彧の推挙した人材は数多くその人物は皆有能ですがその中でも謎多き人物が戯志才です。戯志才は内戦が発生した長安から洛陽へと移動中の献帝(けんてい)を曹操が保護した頃に荀彧から推挙されます。

 

それまでの戯志才は俗世との関りを断つような生活をしていましたがその才覚を買われ曹操の配下となりました。その後の活躍や実際に謀を行った記述はなく曹操に仕えて数年でなくなってしまいます。

 

王芬のクーデターが失敗すると見抜く曹操

 

彼が亡くなった際には曹操は「彼が死んだことで策略を相談できる相手がいなくなった。誰か彼に匹敵する人物はいないか」といった内容の手紙を荀彧に送っています。

 

郭嘉

 

その後任となったのがあの郭嘉(かくか)であり戯志才は郭嘉に勝るとも劣らない知略の持ち主であったと想像できます。

郭嘉と曹操は意気投合

 

その郭嘉も早死にしてしまった際に曹操は「郭嘉がいれば赤壁(せきへき)での敗戦もなかった」としていますがもし戯志才もいれば曹操の代で天下統一を成しえたかもしれません。

 

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荀彧に推挙された 有能な縁戚

荀攸

 

荀彧は自身の縁戚にあたる人物も推挙しています。その人物とは荀攸です。荀攸は董卓が実権を握っていた際にその悪政を見かねて暗殺を謀ろうとしますが事を成す前に董卓の耳に入り投獄されてしまいます。

荀攸と牢屋

 

しかし処刑の前に董卓が王允(おういん)らによって殺されたため荀攸は九死に一生を得ました。その後、荀彧によって推挙され曹操に仕えることとなります。荀攸にあった曹操は彼の才を高く評価し軍師として迎え入れます。

 

賈詡と曹操と張繍(張繡)

 

宛の張繍(ちょうしゅう)征伐に同行した際には「張繍は劉表(りゅうひょう)と協力関係にありお互いに難があれば協力しあう体制となっています。特に兵糧については劉表からの支援があり尽きることはありません。そのためまずは劉表からの兵糧支援を止めさせるよう働きかけるべき」と進言しましたが曹操は聞き入れず敗戦を喫します。

 

荀攸と曹操

 

この時曹操は荀攸の意見を採用しなかったことを悔い以降重用するようになります。

 

荀攸と曹操

 

そのほかにも荀攸は荀彧と同様に数多くの名士を曹操に推挙しており曹操も「荀彧と荀攸に推挙された人物は実に信頼できる。」としています。

 

荀攸

 

荀攸はその死の間際まで曹操との関係は良好であり荀攸の死後曹操は荀攸の話が出るたびに涙を流していたほどでした。そのため荀彧は祭られていない曹操の廟庭(びょうてい)に24人目の功臣として祭られています。

 

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三国志ライター ボス吉の独り言

荀彧

 

荀彧に推挙された人材はみな優秀で曹操はこれらの人材を重用し、天下統一に向けて広く意見を求めます。

 

司馬懿

 

曹操以降の魏においてもこの人材は魏を支え続けますが最後は司馬懿によって滅ぼされてしまいます。

 

呉と蜀を倒しに南下する曹操軍

 

良くも悪くも荀彧に推挙された人材が中心となって魏の物語が進んでいくこととなりますが曹操の時代にはその人物たちをうまく重用、コントロールしている印象を受けます。曹操はただコレクションするだけでなくそのコレクションが最も映える使い方をしていたことが三国志最大の勢力であった秘訣ではないでしょうか。

 

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郭嘉特集

 

 

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