魏の名将、鄧艾と屯田の深い関係とは?

2021年3月17日


 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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屯田についての建策を行う

地理や地形に精通していた鄧艾(トウ艾)

 

当時の魏は呉を滅ぼすことが第一の目標でした。その前線である寿春地域に鄧艾は派遣されることになります。そこを視察した鄧艾は司馬懿に提案をします。

 

進軍する兵士c(モブ用)

 

広い土地があり、良質の田があるのに、水が少ない、よって運河を建設して水を確保すること。兵士を屯田させ、食料および兵力を確保すること(軍屯)。この2つを司馬懿に提案をしたのです。

 

屯田については「数万人を屯田させ、10分の2ずつを交代して休ませる」ことを提案しました。これによって兵士を年中フル活用し、食料生産を行う事が出来るのです。今でいう「シフト制」ですね。

 

司馬懿

 

これらの提案のほとんどを司馬懿は受け入れ、実行に移していきます。実際に運河は完成し、屯田も実行されました。これにより食料生産の増大のみならず、兵士、食料の輸送も容易となり呉と戦う準備が整ったのです。

兵糧を運ぶ兵士

 

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出世しても農耕の必要性を説く

姜維と鄧艾

 

のちに鄧艾は数々の戦で功績をあげ、将軍として出世していくことになるのです。しかし、農業についてはいつも頭にあったようです。後に州の長官に任命されることになるのですが、そこでも皇帝に進言をします。「国家のもっとも重要な課題は軍事と農事です。

 

孔子と儒教

 

確かに軍が強ければ戦には勝てますが、孔子(こうし)も『食足りて兵足る』と述べておりました。食料を蓄え、民を豊かにしたものにこそ、恩賞を与えるべきでしょう。」と。

 

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三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

鄧艾は無理やり移住させられ、嫌な体験もしたのでしょうが、その体験が後々屯田など農の政策に役に立っていたのですね。経験は無駄にならない、そんなことも教えてくれる鄧艾でした。

 

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まだ漢王朝で消耗してるの?

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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