曹操「なんでも上手に使えばいい!屯田制と兵戸制じゃ!」




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献帝に対して、「力のないものは廃せばよい」と言い放った守旧派の袁紹に対して、

曹操は「なんでも上手に使えばいい」と言いました。

 

袁紹と曹操の間には圧倒的な兵力差がありました。

曹操は、その状況を打破するため、新たに「屯田制」を考え出しました。

 

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この記事の目次

屯田制

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曹操は流民に農地を与えて土地を耕作させる制度を作りました。

 

戦によって荒廃した土地や、無住の土地などを国有化し、それを流民たちに

分配したのです。

農業に必要な農具や牛なども貸し与えました。

 

しかし、地代は、他の豪族の荘園と同じくらいまたは、より高いものでした。

屯田の耕作民は、収穫の5~6割を国に納めたそうです。

 

それならばなぜ、流民たちは好んで屯田にやってきたのでしょうか。

それは、地代が現物納入のみで、金銭を必要としなかったからです。

このあたりも、曹操の柔軟なアイデアのセンスが光っています。

 

また、屯田制には、流民だけでなく兵士たちも組み込まれていました。

兵士たちによる屯田は「軍屯」と言われました。

彼らは、蜀や呉との国境の土地を耕作し、戦にも備えたのです。




兵戸制

兵戸制

 

曹操は、屯田制の他にも新しい制度をつくりました。

兵士の身分を保障する「兵戸制」です。

 

これは、黄巾軍の残党である青州兵を自軍に取り込んだ際に作られたものです。

30万人にも及ぶ青州兵の数は、当時の曹操の全兵力よりも多かったので、

彼らに対する配慮が必要だったのです。

 

兵戸制とは、農民たちとは別の戸籍を持ち、父が死ねば子供、兄が死ねば弟と

いうふうに、兵役の義務が引き継がれる制度です。

 

兵士が逃亡した場合は、家族にもたいへん厳しい罰が与えられるため、

永久に兵役を拒否することはできません。

 

しかしながら、一定地域に居住することができ、生活の保障が与えられました。

そのため、流民生活に比べると、当時の状況下では、たいへん価値のあるもの

だったわけです。

 

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この記事を書いた人:東方明珠

キリン(東方明珠氏)はじめての三国志

こんにちは。とうほう めいしゅです。

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。

もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。

当時はゲームセンターに通いつめました!

まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

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