蜀の老将コンビと言えば黄忠と厳顔です。本当は年齢で言えば、趙雲もかなりのジジイなんですが、老将のイメージはありません。さて、そんな厳顔に実は上司がいたってご存知でしょうか?
厳顔の上司は巴郡太守趙筰と言い、有名な張飛と厳顔のやりとりには趙筰の動向が影響を与えているっぽいのです。
この記事の目次
厳顔と趙筰の関係をズバリ!
では、いつものように忙しくて時間がない読者ちゃんの為に、この記事の内容をズバリと要約してみます。
1 | 趙筰は正史三国志と華陽国志に登場する巴郡太守 |
2 | 諸葛亮と張飛・趙雲が荊州から長江を遡り巴郡に侵入すると 将軍厳顔とともに防ぐが張飛に敗北し降伏。 |
3 | 厳顔は趙筰の不甲斐なさに怒りそのまま巴郡太守を引き継ぐ |
4 | 張飛、趙筰が降伏したのに将軍の厳顔が粘るので立腹。
厳顔を捕らえると「なんで降伏しない!」と怒鳴る |
5 | 厳顔、蜀には断頭将軍しかおらぬと痛烈な皮肉 |
6 | 趙筰は益州別駕従事に昇進し劉備に帝位を勧める |
大体、こんな感じのあらすじです。では、以後は少し詳しく内容を解説していきます。
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華陽国志では趙筰が太守で厳顔が将軍
趙筰は正史三国志では、劉備に皇帝即位を勧める群臣の1人として登場します。しかし、華陽国志においては、もう少し経歴が詳しく巴郡太守として長江を遡上して攻めて来た張飛を将軍厳顔とともに防ぎ敗れたとされています。
一方で正史三国志の張飛伝では趙筰の名前はなく、巴郡太守は厳顔になっています。これを推測すると敗れて捕らえられたのは趙筰のみであり、将軍厳顔はそのまま抗戦を続け、便宜上、臨時の巴郡太守を引きついだのではないでしょうか?
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張飛のセリフは奇妙である
巴郡太守として張飛に抵抗する厳顔ですが、遂には破れて捕らえられます。
ここで、張飛が放ったのが、
「大軍がやってきたのに、どうして降りもせずに敢えて抗戦したのか?」です。でも、この張飛のセリフは奇妙です。大軍が来たから降れと言われてホイホイ降るような厳顔ではありません。張飛の性格から考えれば、寡兵でよく大軍を持ちこたえたと褒めてもよさそうなものです。
張飛の傲岸な物言いに対し厳顔は「あなたがたは無法にもわが州を侵略し奪った!
我が国には首を斬られる将軍がいるだけで降る将軍はいない」と言い返します。
これに怒った張飛は左右の者に厳顔を斬れと命じますが、厳顔は「斬首するならさっさとせよ!どうして怒る必要があるか」と怒鳴り返します。この一言で張飛は態度を改め、縄を解いて厳顔を賓客として遇しました。
趙筰と厳顔の落差が張飛を感動させた
張飛の大軍を率いてきたのになぜ降伏せぬという言葉を推測すると、すでに太守である趙筰が降伏しているのに、なんで将軍である厳顔は抵抗を続けるのだ!
そんな苛立ちが見えてこないでしょうか?
物分かりよく投降した趙筰に比較し、厳顔はあまりに頑迷固陋に見えたという事です。しかし、いちいち筋道が通った厳顔の言い分を聞いている内に張飛は、(全く、厳顔の言い分は正しい、それに比べて趙筰は太守のくせになんと情ない)
このように態度を改め、厳顔を賓客として遇したと考えられないでしょうか?
また厳顔にしても、張飛を卿等と呼んで一定の敬意を示しています。口汚く罵っているのではなく、あくまで冷静に劉備軍の非礼を指摘し、こうまで好き放題されて、敵に降るのは恥辱だと答えたのです。
ここには、先に降ってしまった趙筰への皮肉もあるのかも知れません。
裴松之は、張飛伝の補足で華陽国志を引き、入蜀した劉備が巴郡を通過した時に厳顔は胸を叩いて「これこそ1人山に入り、虎を放って自衛すると言うようなものだ」と嘆いたと書いています。
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