黄巾の乱を起こしたのは2世紀の感染爆発だった!【文明と疫病の三国志】

2021年8月5日


 

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黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

三国志は西暦184年の4月に起きた黄巾(こうきん)の乱から始まります。

 

北方謙三風ハードボイルドな豪傑(曹操・劉備・孫堅)

 

黄巾討伐の手柄により、曹操(そうそう)劉備(りゅうび)孫堅(そんけん)のような人々が認められて勢力を築きそれが、反董卓連合軍のような諸侯連合軍へ繋がっていくわけです。

 

霊感商法で信者を増やす張角

 

しかし、そもそも張角(ちょうかく)はどうやって太平道の教義を広めて信者を増やしていったのでしょうか?

 

同年小録(書物・書類)

 

最近の学説ではシルクロードを通じて流入した感染症が太平道布教を後押ししたと考えられているようです。

 

 

ザックリ黄巾の乱を起こしたのは2世紀の感染爆発だった!

忙しい方にざっくり解答03 kawausoさん

 

では、最初に黄巾の乱を起こしたのは2世紀の感染爆発だった!の内容についてザックリと解説します。

 

西暦165年から180年までローマ帝国と後漢で感染症が猛威を奮った
天然痘(てんえねんとう)結核(けっかく)は元々、家畜の伝染病であり、それが人間に感染して

甚大な被害を産み出すようになった。

細菌やウイルスは、適度な水と人口が密集した場所を好み、それが古代ではローマと洛陽という大都市として出現した
隊商がシルクロードを横断する中で家畜や人を介して感染症がユーラシア大陸の東西で同時期に大流行した。
張角は免疫システムを利用し太平道を信仰すれば病気にならないと

宣伝して信者を増やしたのではないか?

 

以上がザックリとした記事の内容です。以後はそれぞれの内容について、もう少し詳しく解説していきます。

 

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ローマと後漢で同時に大流行した天然痘

疫病が蔓延している村と民人

 

黄巾の乱の時代背景について、後漢書(ごかんじょ)()十七、五行五の疫(ごぎょうごのえき)(流行性伝染病)の条項には次の記述があります。

 

119年 安帝元初六年(あんていげんしょろくねん)夏4月 会稽大疫(かいけいたいえき)
125年 延光(えんこう)四年冬 洛陽(らくよう)大疫
151年 桓帝元嘉元年(かんていげんかがんねん)正月 洛陽大疫
同年二月 九江(きゅうこう)盧江(ろこう)大疫
161年 延熹(えんき)四年正月 大疫
171年 霊帝建寧四年(れいていけんねいよねん)3月 大疫
173年 熹平(きへい)二年正月 大疫
179年 光和(こうわ)二年春 大疫
182年 光和五年2月 大疫
185年 中平(ちゅうへい)二年正月 大疫
217年 献帝建安(けんていけんあん)二十二年 大疫

 

疫病が流行った村

 

これを見ると規模の大きな伝染病が西暦119年より凡そ1世紀繰り返し起きている事が分かりますが、特に霊帝が即位していた西暦170年代から180年代に5回も起きています。

 

三国志 兵糧攻め 村人

 

張角の太平道は重税と凶作に苦しむ貧しい庶民ばかりではなく、金持ちや宦官なども入信していましたが、その背景に感染症があったとすれば、貧しく重税に苦しんでいるわけでもない金持ちや宦官が入信した経緯が読めてきます。

 

カエサルが新しいユリウス暦を見せびらかす

 

そして、興味深い事に、後漢で感染症が頻繁(ひんぱん)に発生していた時代、シルクロードを通じて交易があったローマでも165年から180年にかけて天然痘がローマに広がりアントニウスの疫病と呼ばれ、数百万人のローマ市民が犠牲になった事が分かっています。そして、ローマでも後漢と同じく疫病の蔓延により五賢帝最後の1人、アントニウス帝が死去し、そこからは混乱の軍人皇帝の時代が到来するのです。

 

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英雄の死因

 

 

感染爆発の要素が揃うローマと洛陽

光武帝

 

現在も猛威を奮う感染症ですが、その元々は家畜の感染症である事が知られています。

 

古代ローマで猛威を奮い後漢に到達したと考えられる天然痘は元々牛の疫病であり、近代に大流行した結核(けっかく)も豚の疫病が人間にも感染するように変異したものです。インフルエンザウイルスは、渡り鳥の腸に潜んでいて、人が飼育する鳥獣にウイルスが伝染し、鳥獣から人間に感染していきます。

 

また人間は家畜を品種改良して肉質を良くしたり、力が強い品種を造ろうとするので、自然に似たようなDNAを持つ家畜が生き残る事になり、また飼育するので自然淘汰も働かず免疫がぜい弱なので、感染症があっと言う間に拡大してしまうのです。

 

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

同時にウイルスや細菌の存続には過密な人口と適度な水分が必要ですが、ローマも洛陽もその時代では世界有数の人口過密(かみつ)都市でした。家畜と人間が共存し人口過多で絶えず密が発生し、適度な水がある都市の環境は感染症にとっては天国のような環境であり、だからこそ同時期に疫病がローマと洛陽を襲ったと考えられるのです。

 

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帝政ローマvs三国志

 

集団免疫と太平道

張梁(黄巾賊)

 

感染症パンデミックは膨大な死傷者を出す事で社会を激変させる事がありますが、同時に生き残った人々が免疫を確保する事で、繰り返し感染症が流行すると次第に死者が減少する傾向があります。集団免疫です。

 

張角がいつから太平道の布教を開始したかは不明ですが、霊帝の時代である事は間違いなさそうなので、張角が祈祷(きとう)した感染症患者で生き残った人々も出た事でしょう。

 

太平道の祖・張角(黄巾賊)

 

そして、そのような人々は免疫を獲得し、次の感染症の流行では疫病に感染しないか軽症ですむという事実が確認されたと考えられます。

 

暴れまわる黄巾賊

 

集団免疫の考え方がない昔の事なので、人々にはそれが張角の奇跡に見えた可能性もあり、これが太平道の信者になれば、疫病にかからないとして信者を爆発的に増やすきっかけになったとも考えられます。

 

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黄巾賊

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

感染症への恐怖は、現在も昔も変わりがありません。死の恐怖に直面した時、恐怖から救ってくれる存在が出てくれば手を伸ばしてしまうのが人間というものでしょう。

 

暴れる黄巾党と張角

 

張角はそのような人間の弱さに付け込んで、自らの祈祷が疫病を退散させると煽り、36万人という信者を獲得したと考える事も出来ます。同時に、そもそも人と家畜が近い距離にいて、水があり人が密集している都市こそ、ウイルスや細菌が好む場所であり、感染爆発の舞台であるという事実も見逃すわけにはいかないでしょう。

 

参考PDF:司馬懿とその歴史的背景 岩間 秀幸 瀧本 可紀

 

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太平道の秘密

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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