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どうして赤壁には出ていないのか?
そんな水軍提督の文聘ですが、赤壁の戦いには参加している様子がありません。これは、曹操が、降伏して日が浅い文聘を警戒して、赤壁の任務につけなかったのか?
もしくは、近年の研究で言われているように、赤壁での魏軍の敗北は疫病による自主的な撤退であり、自ら船団に火をつけて退却したので、文聘の活躍の場は最初からなかったのか?具体的には分かりません。
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三国志ライターkawausoの独り言
今回は文聘が水軍提督だったという話を紹介しました。同じ水軍提督でも、周瑜のような派手な勝利には恵まれなかったので、文聘が水軍提督だった事はあまり記憶に残りません。
三国志演義でも、黄蓋の降伏の真偽を確かめようとして矢で射られて水に落ちたり、徐盛の偽城の計で退却した曹丕を背負って逃げるなど、水軍提督のイメージは薄いですが、実は、ちゃんとした水軍の名提督だったのですね。
参考文献:正史三国志 文聘伝
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