広告

十字軍は何の為に始まったの?十字軍の始まりと終わりをわかりやすく解説

2021年9月19日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



奇跡の共存 第六回十字軍

 

宗教熱とは真逆に、欲望と破壊に塗れた第四回十字軍の後、第五回十字軍が教皇ホノリウス3世の呼びかけで始まり、ハンガリー王アンドラーシュ2世、オーストリア公レオポルト6世らがエルサレム王国国王ジャン・ド・ブリエンヌらとアッコンで合流しエジプト征服を目指しますが、参加した諸侯と枢機卿のペラギウスとの間で利害が対立。

 

レオポルドやジャンが途中で退却、1221年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世が援軍を送りますが、十字軍はエジプト軍に大敗し枢機卿含め多くが捕虜とされる惨敗を喫します。

 

ホノリウス3世の後を継いだグレゴリウス9世は、十字軍実施を条件に戴冠式を許した東ローマ皇帝ハインリヒ2世に約束履行(やくそくりこう)を執拗に迫り、ハインリヒ2世は渋々、西暦1228年第六回十字軍が召集します。

 

神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世はイタリアのシチリア王国で生まれ、イスラム教とキリスト教が混ざり合った環境で育ったのでアラビア語を流暢に話す事が出来、また「玉座最初の近代人」と呼ばれる開明的な君主でした。

 

これまでの野蛮人同然の欧州君主と戦ってきたアイユーブ朝のスルタン、アル=カーミルは、ハインリヒ2世の和平を望む書簡を受け取り、知的で誠実なハインリヒ2世の人柄に惹かれ、徐々に和解を試みる気持になり、ハインリヒ2世と会談して10年の期限付きながらエルサレムをキリスト教徒の元に帰す事を認めます。

 

実は2人とも国内に多くの不満分子を抱えており十字軍どころではありませんでした。書簡の往来で、お互いが戦争を避けたがっている事を知った両者は、これ幸いと平和的に聖地エルサレムを共有できる方法を探っていたのです。

 

8回も繰り返された十字軍運動の中で唯一、血を流さずに勝ち取った和解でした。しかし、異教徒と妥協したという事でハインリヒ2世もアル=カーミルも身内から激しく攻撃を受けることになり、折角の平和的共存も長くは続きませんでした。

 

関連記事:スペインが没落した本当の理由が深すぎた!

関連記事:どうして17世紀のオランダは世界最強になったの?世界史を丸わかり!

 

 

十字軍が残したモノ

猛烈に強いテンプル騎士団

 

人々の熱狂と共に始まった十字軍運動でしたが、エルサレムは一時的に奪還できてもすぐにイスラム勢力に取り返され結局、キリスト教徒の手に戻りませんでした。

 

一方で十字軍を呼びかけた歴代のローマ教皇は、神聖ローマ皇帝と喧嘩するなどして人々の信頼をなくし権威が低下します。

 

荘園領主は、口減らしで領民や子弟を十字軍に送り込んだものの戦費がかさみ生活を圧迫。また十字軍の遠征で欧州各地に交易路が開かれ、貨幣が導入されて富裕な商人が商業都市を築いて自立するようになると、閉じた経済圏の中で領主の畑を耕して食べるしかなかった人々も商業都市に仕事を見つけ貨幣を稼いで自活していきます。

 

土地に農奴を縛りつけ、地代で生活していた荘園領主は貨幣経済に対応できずに没落していく事になりました。十字軍遠征で物資と兵員の輸送を担当したヴェネチア商人を含むイタリアの諸都市は莫大な富を築き、ルネサンスの基礎を築いていきます。

 

関連記事:大航海時代って何?面白く解説!【まるっと世界史】

関連記事:【オスマン帝国史】623年も続いた多民族国家はどうして繫栄し滅亡した?

 

 

世界史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

十字軍運動は、ローマ教皇、荘園領主という古い支配者を没落させ、進んだ地中海世界の文物にヨーロッパ人を触れる事で西ヨーロッパに貨幣経済をもたらします。

 

そして、主として北イタリアの都市国家の市民を中心に交易で得た富を背景として、神を中心とするキリスト教から離れ、自由と個人の尊重を中心に据えるルネサンスが花開いていきました。

 

関連記事:なんで西ローマ帝国は滅び東ローマ帝国は千年も繁栄したの?

関連記事:騎士はどうやって誕生したの?【まるっと世界史】

 

鉄と日本の二千年史

 

まるっと世界史 特集バナー

 

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-まるっと世界史