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スペインが没落した本当の理由が深すぎた!

2021年5月2日


 

ガレオン船(世界史)

 

世界史で大航海時代を学ぶ時に必ず登場するのがスペインです。無敵艦隊を率いて世界中に植民地を築いたスペインですが、1588年のアルマダの海戦で格下のイギリス艦隊に敗れてから急速に没落すると教科書では習いますよね?

 

でも、それは没落の結果であって原因ではありませんでした。

今回のまるっと世界史はスペインが没落した本当の理由を解説します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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1世紀に渡りツキまくったスペイン

キャラベル船(世界史)

 

スペインは15世紀中頃までは、ようやくイスラム勢力をイベリア半島から追放しただけの貧しい欧州の小国に過ぎませんでした。当時主流だった北海貿易圏からも地中海貿易圏からも遠く外れたスペインは、大西洋を突っ切り直接インドを目指すという探検家、クリストファー・コロンブスの提案を受け入れ、インドには到達できなかったものの、当時欧州の地図にはなかった南北アメリカ大陸に到達しました。

 

その後、スペインは南アメリカ大陸に栄えたインカ帝国とマヤ帝国を、馬と銃と病原菌の力を借りて征服、現地民を奴隷にすると同時に莫大な金銀を入手し、国内へと持ち帰ります。

 

さらにスペインの幸運は続きます。1545年、ボリビアのポトシで史上最大規模の銀鉱脈を発見、それから1年も経過しないうちに、スペインの探検隊が、メキシコのサカテカスに大きな銀鉱を発見します。

 

スペインの幸運はこれで終わりませんでした。1540年、イタリアの技術者、ヴァンノッチョ・ビリングッチョが「火工術(かこうじゅつ)」という本の中で水銀を利用して鉱物から金属を分離する、非常に効率が良いアマルガム製法を開発。

 

スペインは南部のシエラ・モレナ山脈の北麓(ほくろく)、アルマデンに豊かな水銀鉱脈を持っていて、ここの水銀を使い南アメリカの鉱山から大量の銀を採掘できました。

 

ギリシャ神話の大神_ゼウス(神話)

 

 

神に愛されたとしか思えない1世紀の間に、スペインは大量の金銀を入手、欧州最強帝国へ、のし上がって行ったのです。

 

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莫大な富がスペインを貧しくした?

 

しかし、スペインが得た莫大な金銀は逆にスペインを窮地に陥れる事になります。

 

南米から金銀を持ち帰ったスペインでは、国内の金貨・銀貨の供給量が跳ね上がりました。ところが当時のスペインの国内産業は貧弱で、供給量が増えた金銀に見合う程、生産力が上昇しませんでした。

 

貨幣の供給量に対して国内の生産力が追い付かなければ品不足になり物価は高騰します。現在でいうインフレの状態です。そうすると、競争相手国の製品は相対的に安くなっていき、食料品や衣料などの輸入量が増大します。

 

さらに深刻なのは、スペインはアメリカ大陸の植民地を維持する為に、毛織物(けおりもの
)
や靴、絨毯や家具、絹織物、時計などの製品を船で植民地に供給する必要がありました。

 

ですが、自国では供給を賄えないので、どうしてもオランダやフランスやイギリス、チャイナ等から輸入する事になり大量の金銀が他国に流れ込んでいきました。

 

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中央銀行をもたないスペイン

みずほ銀行風

 

経済を勉強した事がある人なら、スペインのこの金銀流出状態に対し「中央銀行を設立し公債を発行して金利を引き上げ、国内の通貨を政府が吸い上げ、デフレ誘導して物価を下げればいい」と処方箋を書く事でしょう。

 

しかし、中央銀行が世界で初めて設立されるのは、17世紀も末になったイギリスにおいてであり、16世紀のスペインには中央銀行の発想はありませんでした。

 

仮にあったとしても、放漫財政で債務不履行を繰り返すスペイン王室が持つ中央銀行の公債を買う人は、あまりいなかったでしょう。こうして、スペインはインフレ解消が出来ないまま、アメリカ大陸から吸い上げた莫大な金銀を他国に供給する橋の役割を果たす事になり、没落していくのです。

 

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国庫を圧迫する軍事費

 

スペインの没落を早めたもう1つの存在、それはスペインの無敵さを象徴する軍隊でした。16〜17世紀のスペイン兵は、長槍(ながやり)兵と銃兵で構成する250名の兵士がテルシオと呼ばれた1つの密集陣形を組んで戦いました。

 

テルシオは外側を長槍兵が囲み、内側に銃兵を配置した陣形です。敵の騎兵がテルシオに突撃すると、長槍兵が密集して槍襖を造り、騎兵の突破を阻止。こうして、敵騎兵が怯んだ隙に、内側の銃兵が一斉射撃して大ダメージを与えました。

 

そして、銃撃が終わると再び長槍兵が外側を隙間なく埋めて進撃し、怯んだ敵軍を突き崩して勝利するのです。しかし世界最強スペイン兵には大きな欠点がありました。それはスペイン兵が金で雇用された傭兵(ようへい)であり、維持するのに莫大な資金が必要だった事です。

 

おまけに傭兵には、愛国心がなく条件次第では敵国に寝返ったり、報酬が気に入らないと、戦地で略奪に走り、無用な虐殺を起こす事さえあったのです。

 

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アントワープ略奪事件がオランダを独立させる

三国志のモブ 反乱

 

この傭兵の略奪行為が最悪の形でスペインに跳ね返る時がやってきました。

 

1576年11月4日、当時、欧州でも有数の富裕な都市だったアントワープでスペイン兵が略奪を開始し、数千人の市民を虐殺し数百の建物を破壊、200万スターリングの被害を出します。

 

当時のスペインは長引くオスマン帝国との抗争で1575年に破産を宣告しており、スペイン傭兵に満足な給与を支払えない状態にありました。その事への不満がアントワープ略奪事件に繋がっていたのです。

 

事実を知ったスペイン派のオランダ南部の商人と知識人は、スペインの杜撰(ずさん)さに呆れて憤り、スペインへの支持を取り下げ北部と南部オランダは宗教の違いを超えて協力し、スペインを追い出す為にゲント講和条約を締結します。傭兵の虐殺でスペインはカトリックでスペイン支持派だった南部の支持を失い、結局は独立戦争でオランダが独立する事になり、国力を衰退させました。

 

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世界史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

アメリカの発見と豊富な金銀の強奪で裕福になったスペイン。しかし、増えた貨幣量を上回る産業を持たなかった為に、国内は供給不足でインフレになり、安い国外の製品を仕入れて金銀を流出させる羽目になりました。

 

世界的不景気になると、国債金利を上げたり増税したりして市場貨幣を政府が回収して通貨安に誘導する事がありますが、16世紀のスペインではそれが出来なかったんですね。

 

参考文献:その時、「お金」で歴史が動いた 文響社

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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