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秦と対等だが粘りがない楚
楚の兵力は百万で戦車は千乗、軍馬は1万もあり兵糧は十年分とされています。
キングダムの時代は、中原から離れた未開の国として、変わったヘアースタイルが流行したりしていますが、意外にも冶金技術は進んでいて、兵士はおろか戦車を引く馬も鎧を着ているようです。
しかし楚は領地が1国で残りの六国を併せた程もあり、バカでかいので君主による中央集権がゆきとどかず、兵士は王族が保有しているなど封建制の名残が強く残り楚兵は勇敢だが粘りがなく、すぐに退却すると張儀は辛口評価しています。
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ガチガチの軍事国家 秦
秦の兵力は100万人以上で、戦車は千乗、軍馬は1万頭と楚と対等の軍事力です。特に軍馬は優秀で飛ぶように走り騎兵に向いていると張儀は評しています。
元々、秦は半農半牧の国家なので、家畜の改良に前向きで馬も優良だった可能性は高そうです。しかし、秦の最大の強みは実力主義とガチガチの軍国主義体制であり、貧しい庶民が成り上がるには軍人になって戦功を立てるしかありません。
そのため、秦の兵士は戦場では虎のように勇敢で裸足で鎧もつけずに敵陣に飛び込み、顎を弩で射られて負傷しても戟を捨てずに戦い、右手に生首を抱え、左手で捕虜を捕まえていると形容されています。
これらは秦に仕えた張儀の評価なので誇張はありますが、秦が徹底した実力主義であった事は本当でした。
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春秋戦国時代ライターkawausoの独り言
戦国七雄の兵士の強さを見ると、1位はやはり貧しさから庶民が抜け出す手段が兵士になるしかなかった秦で、2位、3位が秦と同等の兵力と騎馬と戦車を持つ楚と胡服騎射で騎兵に秀でている趙。
4位が常備軍を持ち兵士の質が高い魏で、5位が弩兵を多く持ち装備も頑強な韓、6位が中程度の備えを持つ燕で、7位があまり戦意が高くない斉ではないかと思います。
皆さんは、春秋戦国時代について、何か知りたい事はありますか?
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