春秋戦国時代と日本の戦国時代、戦い方はどれくらい違うのかを検証




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飛信隊の信と仲の良い政(始皇帝)

 

漫画キングダムでお馴染みの中国の春秋戦国時代、こちらは紀元前770年から紀元前221年秦の天下統一まで550年も継続しました。

 

合戦シーン(戦国時代の戦・兵士・モブ)

 

一方、日本では1467年の応仁の乱前後から1590年の豊臣秀吉の小田原征伐前後の1世紀を戦国時代と呼びます。1700年離れている2つの戦国時代、戦い方はどの程度違うのでしょうか?

 




春秋戦国時代の布陣

曹操のお墓(曹操高陵)

 

最初の疑問として春秋戦国時代の兵士の種類、兵科と日本の戦国時代の兵科はどう違うのでしょうか?

 

 

始皇帝の墳墓の周辺に配置された兵馬俑(へいばよう)を参考にすると、春秋戦国時代の兵科は歩兵と、弩兵(どへい)と騎兵に分類されていたようです。

 

兵馬俑

 

もっとも数が多いのは歩兵で最前線で整然と並び()(げき)(ほこ)を武器としていました。戈も戟も矛も長い柄を持つ武器で歩兵はこれらの武器を振り回したり、突き刺したり、引っ掛けたりして敵の歩兵を攻撃します。

 

歩兵の背後には戦車に乗った指揮官の俑があり、背後から歩兵と敵陣の動きを機動力のある戦車で監視し適切な指示を出しています。

 

 

そして、分厚い正面の歩兵俑の東西は、強弩と呼ばれる機械式の弓を構えた兵士が、しゃがんだり立ったまま陣形を組んで戦闘命令を待っています。

 

また、この時代には騎兵も存在し分厚い歩兵の左右に展開していました。実際の戦闘では、一番人数が多く層が厚い歩兵が敵陣に突撃し、敵の陣形が崩れた所で、左右の騎兵が飛び出して混乱した敵歩兵を蹂躙(じゅうりん)します。

 

弩(ど)を発射させる蜀兵士達

 

騎兵の背後にいる弩兵は、敵軍の歩兵や騎兵、あるいは弩兵の攻撃から本陣を守る役割だったのではないかと考えられます。

 

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日本の戦国時代の布陣

何本も翻る軍旗と兵士(モブ)

 

では、次に日本の戦国時代の後期に一般的になった備という布陣を見てみます。日本では律令体制下(りつりょうたいせいか)で中国のように歩兵の軍団制を敷いていた一時期を除き、決まった布陣が敷かれる事はありませんでした。

 

徳川家康は織田信長に脅されて息子の松平信康に切腹を命じる

 

これは、主君と配下の武士の関係が「御恩」「奉公」で繋がるギブ&テイクなものであり、主君のやり方を部下に押し付ける事が出来なかったからです。

 

しかし、戦国も後期になり戦国大名の権力が強化されると万単位の兵力を動員できるようになり、配下の武士は完全に従属下に置かれ(そなえ)という布陣が敷かれるようになりました。

 

火縄銃を撃つ侍(鉄砲)

 

長篠の戦いにおける織田軍の備を見てみると、最初が新兵器である鉄砲足軽、次に古来からの兵科である弓足軽、次に5m近い長槍を装備した槍足軽が控えていました。

 

足軽a-モブ(兵士)

 

槍足軽の背後には、騎馬武者が少数待機し槍足軽が敵陣をかき乱したのを蹂躙します。

 

武田騎馬軍団 馬場信春

 

この騎馬武者の背後に総大将の本陣があり、最前列に旗本、二列目に鉄砲衆、三列目に弓衆、四列目に長槍衆が控え、その後に総大将が鎮座していました。さらに、総大将の背後には使い番と呼ばれる連絡将校である母衣衆がいて、一番最後が補給を担当する荷駄隊です。

 

春秋戦国時代も歩兵が戦争の主力でしたが、日本の戦国時代も同様で大量に動員できる足軽に比重が傾いていました。

 

逃亡する兵士 日本史ver

 

ただ相違点もあり、春秋戦国時代の歩兵が常備軍で、定期的に訓練を施された兵士であるのに対し、日本の戦国時代の足軽はお金で動員されたり戦勝後の戦利品を餌にかき集められた農民や土地を持たない流民の集まりです。

 

春秋戦国時代の歩兵の武器である戈や矛や戟は2m前後の長さしかありませんが、戦国の足軽のマストアイテムである長槍はその倍以上はありました。

 

これは、材質が青銅から鉄になって殺傷能力が格段に上昇したので、迂闊に相手に近づけなくなった事や、足軽に訓練が足りないので遠くから敵に近づかずに攻撃できる長槍が喜ばれた為です。また、平地が少なく道路が舗装されていない日本で馬車は発達せず、当然、戦車も存在していません。

 

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—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代

 

戦争の標的が違う

 

日本の戦国時代と春秋戦国時代では戦争の標的も多少違います。春秋戦国時代においては史記の記述などを見ても分る通り、幾つ敵の城を抜くかが重要です。

 

ちなみに中国の城とは日本の石垣と天守閣を持つ城ではなく、城壁に囲まれた都市の事を意味していますので、城を落とす事は都市を手に入れることでした。

 

三国志の武器 井蘭車 始皇帝

 

そのため、春秋戦国時代は攻城塔や投石機のような巨大な兵器が発達します。しかし、日本の戦国時代の場合には城とは砦や要塞を意味するものであり、砦を落としたからと言って都市が手に入るものではありません。

 

もちろん、砦を無視して先に進んだ結果として、敵に挟まれる可能性もあるので、全く無視できるものではありませんが、春秋戦国時代と比較して城を落とす重要性は、それが敵の総大将が籠城している場所なら別ですが相対的に低いと言えます。

 

炎上する城a(モブ)

 

相手が弱いなら籠城を無視して敵対する農村で略奪や放火を繰り返し敵の士気を下げてから意気揚々と引き揚げる事も可能でした。また、日本では戦国後期まで城は山中や地形が複雑な所に築かれたので、大規模な攻城兵器を引っ張って来るのは一苦労で、日本ではそれほど攻城兵器は発達しませんでした。

 

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時代背景は共通していた

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

日本の戦国時代と春秋戦国時代は時代背景には共通点が多いです。

 

漢帝国の宿敵で匈奴の名君(匈奴族)

 

春秋戦国時代の切っ掛けは、紀元前770年に周王朝が異民族に攻められて都を攻め落とされ遷都した事が原因で勢力が衰え、周王朝に領土を与えられていた諸侯が勝手に各地を攻めて領土を拡張するようになったのが最初です。

 

逃げ回る足利義昭

 

日本の戦国時代も、応仁の乱や明応の政変で足利将軍の権威が衰え、配下の守護大名が命令を聞かなくなり各地で領土の奪い合いが起きたのが原因でした。

浅井長政を滅ぼすサイコパスな織田信長

 

どちらも長い戦乱の時代でしたが、戦乱の長期化で旧勢力が没落し実力主義の風潮が生まれ、出自に関係なく能力がある者が社会的に高い地位に登れるチャンスが生まれた下克上の時代である事も共通しています。

 

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織田信長スペシャル

 

補給は日本の戦国時代が不安定

日本史 兵糧攻め 村人

 

春秋戦国時代の軍隊は、王や公の正規軍であり、武器や防具は王から兵士に貸与されていました。また、食料についても王が責任をもって準備しています。もちろん兵糧が焼かれたり籠城で食糧が尽きた場合には保障の限りではありません。

 

一方で日本の戦国時代は、戦国時代初期は武器も防具も自前で用意する必要があり、食料も最初の3日分は持参しないといけないなど不安定でした。

 

兵士(庶民・村人)

 

戦国後期になると経済力をつけた戦国大名が武器や防具、衣服を貸与するようになりますが、食料については自前で何日分か用意する必要があり補給も不安定でした。

兵糧を運ぶ兵士

 

それもあり、日本の戦国時代の中心を担う足軽は絶えず戦場でも食べられるものを集めていて、いつくるか分からない飢餓に備えていたようです。少なくとも補給面では正規軍である春秋戦国時代の兵士の方が恵まれていたかも知れません。

 

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春秋戦国時代ライター kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は中国の春秋戦国時代と、日本の戦国時代の違いと同じ点について解説しました。中央集権国家である春秋戦国時代の軍隊と、封建体制の日本の戦国時代では、時代はもちろんですが、戦争の捉え方や戦い方まで色々と違う事が分かりましたね。

 

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