なぜ春秋戦国時代には武士が登場しなかったのか?その意外な理由




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焚書坑儒を行う始皇帝

 

春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)は紀元前770年、(しゅう)王朝が異民族の侵攻を受けて遷都し弱体化した時より、紀元前221年に(しん)始皇帝(しこうてい)が戦国七雄を滅亡させる時まで549年間も継続しました。

 

日本戦国時代の鎧(武士・兵士)

 

しかし、同じ戦国時代である日本と異なり春秋戦国時代の主体は武士ではありませんでした。では、春秋戦国時代にはなぜ武士が登場しなかったのでしょうか?

 

忙しい方にざっくり解答03 kawausoさん

 

※武士の成り立ちには沢山の説がありますが、ここでは詳しく触れず一般的な武士の特徴について解説します。

 




武士とは何か?

はじ三倶楽部 スマホの誤変換でイライラする参加者(はてな)

 

ここで疑問に思う人もいるかも知れません。

 

進軍する兵士a(モブ用)

 

春秋戦国時代にも武士という呼び方ではないにしても武人はいる。武装して戦争に臨む存在は武士と同じじゃないのか?

 

確かに春秋戦国時代にも、戦いに赴いて手柄を立てる武人と呼ばれる存在はいましたが、それは、武士とは性質が違います。

 

では、武士とは何か?

武士は、戦闘員を指し、戦闘を家業(かぎょう)とし家系を持つ者を意味しました。

 

朝廷(天皇)

 

戦闘を家業とするとは、戦争がある時に上司にあたる貴族や天皇、上皇、あるいは寺社の命令を受けて出陣する傭兵の事。武士は血縁関係を中核に一族郎党で武士団を形成し、一族の当主を頭領として戦争に従軍する民兵でした。

 

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武人と武士はどう違うのか?

kawauso

 

もう少し掘り下げてみましょう。

 

春秋戦国時代にも武人はいましたが武士はいませんでした。武人というのは「官人として武装していて律令官制の中で訓練を受けた常勤の公務員です。

 

矛を持った信

 

例えばキングダムの主人公李信の場合を見てみると、下僕身分から兵卒となり手柄を立てて将軍の地位まで昇進しました。李信の身分は秦に採用された国家公務員で戦争に参加する武官という事でしょう。

 

では、武士はどうかというと必ずしも国家に雇われていません。

蒙古兵に先駆けをする竹崎季長

 

武士が発展した平安時代、大和朝廷は公地公民制(こうちこうみんせい)が崩れて私有財産である荘園(しょうえん)が拡大した影響で財政が破綻し、正規軍を維持できませんでした。そこで朝廷は正規軍を解体し、民間で武芸を磨いている人々に恩賞や官位と引き換えに自分達の身辺を警護させ、賊の鎮圧や勢力争いの時のコマとして使いました。

 

このように武士は武人のような常勤公務員ではなく、下請けとして戦争のようなイベントがある場合だけ動員される臨時雇いの非正規雇用者だったのです。

恩賞を北条時宗に必死にせがむ竹崎季長

 

極論を言えば武人の方が地位は高く生活は安定していて、武士は合戦がない限りは、活躍の場も限定され、出世の目も限定されていると言えます。

 

そもそも武士が傭兵の地位から脱却し、日本の権力者になったのは天皇と上皇が争った保元の乱や平治の乱のような戦乱が続き、武士の力が必要不可欠になったからでした。

 

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試験がある武人、試験がない武士

呉起(ごき)

 

武人は現在で言う国家公務員なので仕官する時には試験があります。

 

現在のようなペーパーテストや実技試験とは違いますが、例えば春秋戦国の名だたる名将呉起(ごき)は、()や魏さらには()に異動して次々手柄を立てています。こうして、各地の王国に自分を売り込んで手柄を立てて官位と役職を上昇させていくのが武人の特徴でした。

 

しかし、武士は下請けのアウトソーシングなので仕官するわけではありません。

 

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

但し、仕事は戦争なので、その時に備え親から子へ子から孫へ、自分の武芸を伝授してみっちりと仕込んでいきます。武芸を磨いておかないと戦場で討死するリスクが高くなりますし、手柄が立てられないなら次から呼んでもらえない可能性もあるからです。

 

こうした緊張感の中で、武士は子々孫々、一定の武芸を修め戦争のプロフェッショナルへと進化していきました。

 

戦国時代の武家屋敷a

 

武人は一代限りも多いですが、武士は武芸の家柄なので、武芸が長期間伝承され有能な武士が歴代出現していきます。身分保障が不安定なので武芸を磨いて、常に100%のパフォーマンスを出せるようにしないと家として存続できません。

 

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春秋戦国時代に武士が出現しない理由

君主論18 kawausoさん

 

では、春秋戦国時代に武士が出なかった理由を考えてみます。

 

それはズバリ、春秋戦国時代では戦国七雄に中央集権の影響が強かった事でしょう。中央集権とは支配している領域の軍事や行政や立法を君主に集中してしまう事です。

キングダム 戦国七雄地図

 

春秋時代には、そうではない封建制の国も多かったですが、秦をはじめ強国は権力を君主に集中し、官がその手足となって国家を運営する体制でした。

 

君主の(かたわら)で仕事をする官は全て公務員なので、軍隊の指揮官もそうであり、日本の平安時代のように中央政府の力が極めて弱くなり、正規軍を解散して民間に軍事を丸投げする事がなく、下請けの戦争請け負い業である武士が誕生しなかったのです。

 

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春秋戦国時代ライター kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

日本に武士が存在した事のメリットは、中央の混乱が破滅的な戦乱に繋がらなかった点でしょう。武士団は日本各地で荘園を基盤に武力を保有して、外からの侵略者に実力で対応し跳ね返しました。

 

三国志のモブ 反乱

 

一方で中国では武力を中央政府が独占しているので、一度政権が崩壊してしまうと歯止めがなくなり、戦乱は地方に波及して果てしない殺戮が繰り返される事になります。地方に武士勢力が割拠して、小競り合いをしている日本の方が乱世での被害は小さいという事になるのです。

 

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元寇

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代

 

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