崩壊
さて八王の乱が終結、しかしその争いの間に力を付けられた異民族の討伐が残っています。
ですが急遽擁立された懐帝と司馬越の仲は全く良くなく、何と307年には司馬越は洛陽を離れ、その合間にも匈奴の劉淵は漢を建国、その討伐に司馬越は苟晞という、石勒らを破った人物を任命して対抗しようとします。しかし当初は好意的に接していたものの、側近の諫言で二人の仲は悪化、逆に司馬越を遠ざけたい懐帝と苟晞が手を組むことに。
その間にもどんどん漢による攻撃が行われ、洛陽の防衛に司馬越も駆り出されることに。
当初の防衛こそ成功するものの、司馬越は疑心暗鬼に陥り、物資も尽きて戦えなくなるのももうすぐ……と言う中、洛陽の治安はどんどんと悪化していきます。
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司馬越、突然の死
異民族からの石勒討伐の依頼が出てくると、これ幸いと部隊を編成して洛陽から出ていった司馬越。
その間に洛陽に残された司馬越の側近が懐帝に暗殺されそうになったり暗殺し返そうとしたりととんでもないことになり、最終的に司馬越討伐軍が懐帝によって動かされます。
しかしこれを察知していた司馬越、先手を打って討伐軍を任された苟晞を攻撃、そしてボロ負けしたショックで死亡。あくまで負けたことによるショック死です。
どうしようもなくなった部下たちは司馬越の死を隠して棺を運んでいる所をよりによって敵軍の石勒に見つかり、天地を乱した男として遺体を焼き払われ、洛陽は後に陥落。
凄まじい虐殺が行われ、ここに西晋は滅びることになりました。
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「勝者」にはなれなかった人物・司馬越
司馬越を見ていて分かるのは、一つの乱で生き残った勝者が、同時に戦乱の世の勝者には選ばれることはない……ということです。
嘗ては宮中でも一族でも評判が良かった人物が、しかも何だかんだ乱を終結させた人物であっても、懐帝や家臣たちとの仲が上手くいかず、全てから追い込まれていく様は最早言葉を失うほど。司馬越は八王の乱の勝者でした。しかし彼は時代の勝者にはなれなかった……それがこの八王の乱の全てでしょう。
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三国志ライター センのひとりごと
八王の乱のメンバー、無事に全てご紹介出来ました。見ていて思うのは、後半に行くほどにどんどんと悪化していく状態、ということですかね。途中途中に見える希望の芽も全て摘み取られて行く、正に乱、というべき出来事です。
ともあれ八王の乱のメンバーご紹介はこれにて最後、西晋を失うことになった乱を起こしてしまった人物たち。ぜひこの機会に知って頂き、より三国志のディープな世界にハマり込んで頂ければと思います……どぼん。
参考文献:晋書列伝第七宗室 列伝第十 列伝第二十九
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