司馬越とはどんな人?八王の乱の一人で全ての終焉となった漢

2021年10月25日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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崩壊

山越族(異民族)

 

さて八王の乱が終結、しかしその争いの間に力を付けられた異民族の討伐が残っています。

 

漢王朝として独立した劉淵

 

ですが急遽擁立された懐帝(かいてい)と司馬越の仲は全く良くなく、何と307年には司馬越は洛陽を離れ、その合間にも匈奴(きょうど)劉淵(りゅうえん)は漢を建国、その討伐に司馬越は苟晞(こうき)という、石勒(せきろく)らを破った人物を任命して対抗しようとします。しかし当初は好意的に接していたものの、側近の諫言で二人の仲は悪化、逆に司馬越を遠ざけたい懐帝と苟晞が手を組むことに。

 

「漢」を建国宣言して勝手に独立した劉淵

 

その間にもどんどん漢による攻撃が行われ、洛陽の防衛に司馬越も駆り出されることに。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

当初の防衛こそ成功するものの、司馬越は疑心暗鬼に陥り、物資も尽きて戦えなくなるのももうすぐ……と言う中、洛陽の治安はどんどんと悪化していきます。

 

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司馬越、突然の死

進軍する兵士b(モブ用)

 

異民族からの石勒討伐の依頼が出てくると、これ幸いと部隊を編成して洛陽から出ていった司馬越。

 

洛陽城

 

その間に洛陽に残された司馬越の側近が懐帝に暗殺されそうになったり暗殺し返そうとしたりととんでもないことになり、最終的に司馬越討伐軍が懐帝によって動かされます。

 

ショック死する司馬越

 

しかしこれを察知していた司馬越、先手を打って討伐軍を任された苟晞を攻撃、そしてボロ負けしたショックで死亡。あくまで負けたことによるショック死です。

 

炎上する城b(モブ)

 

どうしようもなくなった部下たちは司馬越の死を隠して棺を運んでいる所をよりによって敵軍の石勒に見つかり、天地を乱した男として遺体を焼き払われ、洛陽は後に陥落。

 

三国志のモブ 反乱

 

凄まじい虐殺が行われ、ここに西晋は滅びることになりました。

 

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「勝者」にはなれなかった人物・司馬越

三国志後伝 劉淵、劉備 表紙

 

司馬越を見ていて分かるのは、一つの乱で生き残った勝者が、同時に戦乱の世の勝者には選ばれることはない……ということです。

 

ポイント解説をするセン様

 

嘗ては宮中でも一族でも評判が良かった人物が、しかも何だかんだ乱を終結させた人物であっても、懐帝や家臣たちとの仲が上手くいかず、全てから追い込まれていく様は最早言葉を失うほど。司馬越は八王の乱の勝者でした。しかし彼は時代の勝者にはなれなかった……それがこの八王の乱の全てでしょう。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

八王の乱のメンバー、無事に全てご紹介出来ました。見ていて思うのは、後半に行くほどにどんどんと悪化していく状態、ということですかね。途中途中に見える希望の芽も全て摘み取られて行く、正に乱、というべき出来事です。

 

三国志を語るセンさん

 

ともあれ八王の乱のメンバーご紹介はこれにて最後、西晋を失うことになった乱を起こしてしまった人物たち。ぜひこの機会に知って頂き、より三国志のディープな世界にハマり込んで頂ければと思います……どぼん。

 

参考文献:晋書列伝第七宗室 列伝第十 列伝第二十九

 

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八王の乱

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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