司馬倫とはどんな人?実は皇帝でもあり八王の乱の王の一人

2021年3月19日


 

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泣きながら冤罪を訴えるも処刑される司馬瑋

 

(はちおう)の乱が始まり、賈南風(かなんぷう)の画策によって司馬瑋(しばい)が謀殺され、賈一族が政治の場に入ってくることになりました。

 

 

誅殺大好きな賈南風

 

 

しかし優秀な人材も同時に入ってくるようになり、晋王朝に一時の平穏がもたらされます。ですがそこに混乱の嵐を巻き起こすのもまた、賈南風なのでした……と、いうことで。

 

 

司馬倫

 

 

今回は八王の乱の続き、逝かれたメンバーの一人、司馬倫(しばりん)のご紹介です。

※注意※胃もたれするほど「司馬」が出てきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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趙王・司馬倫

読み書きのできない司馬倫

 

 

司馬倫は司馬懿の九男であり、母親は柏夫人(はくふじん)です。生年は不明ですが司馬懿の晩年に生まれた息子であり、そのため甘やかされたのか勉強嫌いで、成人しても読み書きができなかったと言われています。

 

 

進軍する兵士b(モブ用)

 

 

そんな人物でも司馬一族、277年に趙王(ちょうおう)へと移され、安北将軍なども兼任し、軍事力を手に入れてしまいます。

 

 

司馬炎の革衣を盗ませようとした司馬倫

 

 

司馬倫は性格にもやや難があり、甥っ子の司馬炎(しばえん)が皇帝となった際にその革衣(皇帝のお洋服)を盗ませようとしたという不始末を起こしていました。

 

三国志時代の牢獄

 

 

この際に命令された人物は処刑されるも、皇帝の叔父であるためか司馬倫は無罪放免となります。

 

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やらかしが尾を引きずる図

晋王朝の二代目皇帝に就任した司馬衷

 

 

司馬炎が崩御した後、司馬衷(しばちゅう)によって征西大将軍に任命された司馬倫ですが、その役目は全うできず、異民族の不満から挙兵という事態を招きます。

 

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

 

これを鎮圧しようとするも戦いすらままならないまま時間は過ぎ、五年経って見るに見かねた朝廷が動きました。司馬倫は解任されるも初動で後れを取り過ぎているので後任も中々上手くいかず、やっと鎮圧できたのは四年後。

 

軍事の才能ありと勘違いする司馬倫

 

 

全ての責任が司馬倫にあるとは言いませんが、それでも二桁近い年数を浪費したのは大きすぎるやらかしと言わざるを得ないでしょう。

 

賈南風

 

 

ここまでやらかしたにも関わらず司馬倫は特にお咎めなし、洛陽に入って皇太子の教育係になり、賈南風に取り入り始めました。

 

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司馬倫では役不足?

分不相応な出世を望む司馬倫

 

 

皇后に取り入った司馬倫は、更に(分不相応な)出世を望みます。ここで望んだのは尚書令(しょうしょれい)。以前に何をやらかしたのか忘れているかのような、もっと自分には責任ある仕事を任せて欲しい!というやる気満々の前のめり姿勢。

 

当然ながら却下。前のめり姿勢は評価されたとしても、国を背負って前のめりされてそのまま倒れられたのではたまらない。

 

クーデターを起こす司馬倫

 

 

しかし司馬倫は自分に重要なポストを与えなかった張華(ちょうか)たちを逆恨みすることになるのでした。そしてこれがまた、後ほど影響してきます。

 

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賈南風、再び動く

司馬衷の即位&賈南風の皇后就任

 

 

さてここで恵帝(けいてい)・司馬衷とその皇后・賈南風の動きを見てみましょう。二人には四人子供がいましたが、その子供たちは全て女の子でした。

 

嫉妬狂う賈南風

 

なので皇太子に立てられたの司馬(しば)イツは、側室の子。司馬イツは幼い頃から祖父である司馬炎に溺愛されていましたが、賈南風は(当然のように)この司馬イツが気に入りません。

 

司馬衷の妻に選ばれる賈南風

 

 

今は皇后の立場であっても、今後はどうなるか分からない。自らが皇后になってからやりたい放題やったからこそ賈南風はその事をよく理解していたのでしょう。

 

楊駿たちを誅殺する賈南風

 

 

賈南風は司馬衷が倒れたと司馬イツに伝え、見舞いに訪れた司馬イツに恵帝からの贈り物だと酒を無理やりに大量に飲ませ、泥酔させた司馬イツに司馬衷と賈南風を害そうとしているという書状を書かせました。

 

これを司馬衷に見せ、哀れ司馬イツは廃太子、そして暗殺されます。しかしこの強引なやり方は、賈南風の立場を崩す蟻の穴となったのです。

 

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粛清される賈南風

朝まで三国志201 観客2 モブでブーイング

 

少し時間を巻き戻しましょう。皇太子から一気に廃太子まで追い込まれた司馬イツの側近らは当然ながらブチ切れました。賈皇后を含めた賈一族を政治の場から取り除こうと画策、そして司馬イツを再び皇太子に、というクーデターの話が司馬倫に回ってきます。

 

司馬炎に気に入られる孫秀

 

司馬倫はこれに乗りました。しかしその上で部下の孫秀(そんしゅう)に進言され、とんでもないことをやり始めるのです。

 

「まずはこれを賈南風に密告」

「賈南風が司馬イツを殺してから動く」

 

粛清を繰り返す賈南風

 

こうして司馬イツは賈南風に暗殺されました……そして機は熟したとばかりに司馬倫は動きます。301年4月、司馬倫は恵帝の詔を偽造して梁王(りょうおう)司馬肜(しばゆう)斉王(せいおう)司馬冏(しばけい)らとクーデターを起こします。

 

毒酒を飲み自害させられた賈南風

 

この偽造の詔は当然ながら疑われましたが、疑った尚書郎(しょうしょろう)を切り殺して宮中に乱入。賈南風はここで一族諸共に処刑されます。ついでに過去に自分の能力が足りないと(正当な指摘の元)非難した張華らも処刑。

 

憤死する麋竺(モブ)

 

ここに賈一族と優秀な文官たちは消えたのでした。

 

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読み書きのできない皇帝、爆誕

読み書きのできない司馬倫

 

後、司馬倫は恵帝から皇位を簒奪(さんだつ)、しかし読み書きができないので仕事は孫秀に聞かないと何もできないというとんでもない皇帝が爆誕(ばくたん)します。

 

人気獲得のために爵位をばらまく司馬倫

 

皇帝となった司馬倫は人気獲得のために爵位をばらまきますが、これが正にばらまきで百姓や奴隷にも爵位を与えるという事態だったので、中央の人事は大混乱、朝出た勅令が夜には変わるという有様。

 

司馬倫からもらった褒美は恥

 

「司馬倫からもらった褒美は恥」とまで言われ、百姓にすら「司馬倫は天寿を全うできずに死ぬだろう」とまで言われる有様でした。当然ながらこんな簒奪者は討つべしと動きが起こります。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

最初こそ善戦した司馬倫たちでしたが徐々に劣勢となり、朝廷側も「司馬倫と孫秀捕まえて降伏しよう」と考え始め、孫秀は処刑、司馬倫は立場は全部取り上げられるも命は……助かりませんでした。

 

よりにもよって実兄から復位した恵帝に

「もう今の内に倫もその子らも処刑した方が良い」と言われた司馬倫。

「孫秀が我を誤らせたのだ!」

 

と二度も叫んで毒酒を飲み、八王の乱三番目の王、司馬倫はここに消えました。

 

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プライドの高さだけは凄かった司馬倫

能力に欠けるがにプライドは高い司馬倫

 

司馬倫は能力に欠けすぎるのにプライドだけは高い人物だったようで、

賈一族粛清の際に昔の恨みから他人を処刑することがありました。

 

これを実兄に咎められた際に

「私は水中のカニですら憎いのに人間はもっと許せない!(?)」

というブチ切れ方をしたという良く分からない逸話が残されています。

 

ポイント解説をするセン様

 

ただ一つ分かるのは、司馬倫は正に名家に生まれた「だけ」の存在であったこと。おのれに能力はなく、磨くこともなく、ただその名家という後ろ盾だけで生きていた。だからこそプライドが高かった、自分を愚弄する他人が、それが正当な理由であれ許せなかった。

 

牢獄に入れられる賈逵(かき)

 

しかし政治はそれだけでは成り立たなかった。その罪と責任すら最期まで他人に押し付けて、司馬倫は歴史の露と消えました。皇帝という役目すら背負うことのないまま消えた、そんな人物という印象です。

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

司馬倫は爵位は全てはく奪、司馬亮(しばりょう)らのように名誉回復などもされないまま、歴史に記されています。司馬倫は結局、皇位簒奪者のまま終わってしまったのです。

 

炎上する城b(モブ)

 

そして司馬倫が人気獲得のためにばらまきした爵位は免官されたために中央の役職は空席が大量に……賈一族が粛清されても宮中の混乱は終わることがありませんでした。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

まだまだ続く八王の乱、次回も更なる深みへ、とぷん。

 

参考:晋書列伝第十 列伝第二十九

 

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八王の乱

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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