この記事の目次
陰陽寮は賀茂家と安倍家の家職となる
摂関政治の全盛期10世紀後半には、天文道、陰陽道、暦道すべてに通じた陰陽師賀茂忠行・保憲父子、そしてその弟子の安倍晴明が輩出します。賀茂保憲は従五位下止まりが普通の陰陽師技官出身として異例の従四位上、安倍晴明も50歳を過ぎてから頭角を現し従四位下まで昇進しました。
これは当時の摂関政治を主導した実力者藤原氏の信頼を得た事から出来た事であり、賀茂家と安倍家はやがて陰陽寮の役職を一族で独占。
安倍家は天文道を賀茂家は暦道を受け継いで、それぞれ門外不出としたので陰陽師は両家の世襲となり、さらに上級の役職に就任して宗教的な呪術や祭祀の闇の力で時の権力に影響を及ぼす存在になります。
関連記事:【サムライの祖】滝口武士は手のつけられない凶戦士ってホント?
関連記事:【歴史ミステリー】平家を滅亡に追い込んだ銭の病とは?
安倍氏は土御門を名乗り千年存続
その後、武士の時代が到来すると安倍家と賀茂家の勢力は停滞しますが、南北朝期には足利義満に仕えた安倍有世が従二位まで昇進して公卿となり隆盛を極め、没落した主筋の賀茂家を抑え込んで上位に立ちます。そして代々の当主が住んだ屋敷の場所に因んで土御門の家名を名乗り、唯一正統な陰陽師となりました。
室町時代から戦国時代は、再び没落した土御門家ですが、江戸時代に入ると徳川家によって陰陽道宗家と認められ、江戸城下町の風水を担当したり、日光東照宮の建立などで呼び出され助言を求められるなど活躍しました。
明治維新を迎えると陰陽寮は解体され国家公務員としての土御門家は終焉を迎えますが、現在でも、民間で本来の暦作りに携わっている安倍晴明の子孫の方がいるそうです。
関連記事:三国志の時代にも可愛い巫女が存在した!?李傕や劉禅もハマった巫女事情
関連記事:三国志の時代を震えさせる怨霊たち!特に呉には怨霊系の話が多い!
日本史ライターkawausoのまとめ
陰陽師は、占いマニア天武天皇のお陰で陰陽寮が整備されて誕生します。当初は風水的な占いや暦作成や時を把握する地味な仕事でしたが、桓武天皇が怨霊に怯えて平安京に遷都すると御霊信仰から怨霊ブームが到来。
密教、神道、宿曜、道教まで幅広い呪術的な知識を持つ陰陽師が天皇や皇族や公家のために、秘術を尽くして敵を攻撃する呪術廻戦な状況が生まれました。
やがて、陰陽師の中から賀茂忠行・保憲、安倍晴明という博識の天才が登場して摂関家に取り入り陰陽寮の役職を独占して、賀茂家、安倍家が陰陽師を家職にするようになり、時の権力者に秘術をもって仕え、政治を左右するカリスマ呪術者になったのです。
関連記事:卑弥呼の鬼道を探る。卑弥呼-張魯-安倍晴明のつながり
関連記事:戦国時代に軍師がいた!合戦のエキスパート軍師と軍配者はどう違う?