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扶蘇はどんな人?始皇帝の優秀な息子はどうして死を命じられたのか?

2021年11月18日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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命令に従い自決する扶蘇

始皇帝に死を命じられ自殺する扶蘇

 

趙高は自分の食客を使者に偽装して、オルドスに派遣し偽の遺言を扶蘇と蒙恬に手渡して自決を命じました。

 

蒙恬

 

蒙恬は「私も公子様も重大な北方の警備を受けている存在であり、まだ始皇帝は後継者を発表してもいません。この遺言は偽物の可能性があり、こちらから遺言が本当かどうかを問い合わせましょう、死ぬのはそれからでも遅くありません」と扶蘇に言います。

 

兵士 朝まで三国志

 

確かにオルドスには30万の秦軍が常駐していて、実力で自決命令を拒否する事も可能でした。しか親孝行な扶蘇は激しく号泣し

 

憤死する麋竺(モブ)

 

「遺言を疑い確認するだけでも親不孝だ。私は死んで父の下に行く」と言い自決しました。蒙恬は不信がぬぐえず使者を逮捕して牢獄に監禁しますが、まもなく咸陽において胡亥が二世皇帝に即位し、蒙恬に死を命じたので自決します。

 

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—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代

 

 

扶蘇伝説

陳勝・呉広

 

素直に死んだ扶蘇ですが、その名前は意外な場所で甦る事になります。紀元前209年、陳勝(ちんしょう)呉広(ごこう)が秦帝国に反乱を起こしますが、この時に2人が成りすましたのが、扶蘇と楚の英雄、項燕(こうえん)大将軍でした。

 

突撃する項燕

 

陳勝と呉広が扶蘇の名前を騙ったのは、扶蘇が始皇帝の暴虐に意見した人であると共に、その生母が楚の出身である事に影響しているのかも知れません。項燕は晩年に秦から亡命した昌平君を担いで楚を再興させていますから、昌平君を通じて血縁があった扶蘇の名前を出す事は反乱に有利に働いたのでしょう。

 

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キングダム(春秋戦国時代)ライターkawasoの独り言

kawauso 三国志

 

優秀な人物だった扶蘇ですが、父の遺言を無視してまで皇帝の地位に執着しなかったので、大将軍蒙恬と30万の秦の精鋭を擁していながら、むざむざと趙高の奸計に落ちてしまいました。

 

朝まで三国志2017表情 kawausoさん03 怒

 

もっとも最近の研究では、始皇帝は最初から後継者を胡亥に指名していて遺言を趙高が書き換えた事実はないとするものもあります。それが事実なら扶蘇は始皇帝が自分を後継者にする筈がないと最初から諦めて、すんなりと死を受け入れた事になりますね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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