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知られざる日本在来馬とは?明治以降に洋種馬が日本に伝来する前からいた和種馬

2022年3月6日


 

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四頭立ての馬車 文明開化

 

我々が日常的に競馬や馬術競技、乗馬クラブなどで目にする馬は、そのほとんどがサラブレッドやアングロアラブなどの西洋由来の洋種馬(ようしゅば)です。しかしながら、明治以降に洋種馬が日本に伝来する前から、日本では独自に馬の生産・育成が行われていました。こうした馬は洋種馬とは異なり、日本在来馬と呼ばれています。

 

そこで今回は、そんな知られざる日本在来馬について見ていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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日本在来馬とは?

馬に粘土を載せて運ぶ人(幕末時代)

 

日本在来馬は和種馬や在来和種(馬)と呼ばれ、明治以降に伝来したサラブレッドなどの洋種馬とは全く交雑することなく、はるか昔から続く日本独自の馬としての血統を繋いできた馬たちのことをいいます。

 

前方後円墳(古墳)

 

日本列島に馬が伝来したのは古墳時代のことと言われており、朝鮮半島から交易によって伝わったと言われています。日本各地の古墳から出土した埴輪に馬をモチーフとしたものがあることからも、古墳時代には馬は既に重要な家畜として重要視されていたと言われています。

 

源義経 鎌倉時代

 

その後、平安時代に武士が出現すると、軍馬や農耕馬としての馬の重要性は高まり、中世に入ると日本各地で馬の生産・飼育が行われるようになり、各地で交配・品種改良が行われ、独自の発展を遂げた日本在来馬が誕生することとなります。

 

幕末78-1_小栗忠順

 

日本在来馬の頭数がピークを迎えた江戸時代には、一説によれば数十万頭もの日本在来馬が日本各地で飼育されていたと言われています。

 

幕末_衣替えする民間人 文明開化

 

しかし、明治時代に入ると、西洋からサラブレッドやアラブ種といった洋種馬が輸入されるようになり、体高が高く、速力や耐久性に優れる洋種馬に押される形で日本在来馬はその飼育頭数を減らしていきます。その結果、明治以前には日本各地に存在した日本在来馬の多くは絶滅し、現在の日本在来馬はわずかに8種を残しています。

 

現在の日本在来馬の中には天然記念物に指定されているものもあるように、数を減らした日本在来馬は保護の対象となっており、近年はその頭数が少しずつ増えてきているとも言われています。では、次に現在の日本在来馬として知られている各種の馬について詳しく見ていきたいと思います。

 

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ほのぼの日本史

 

 

 

道産子(北海道和種)

 

道産子(どさんこ)は、その名の通り北海道に生息する日本在来馬です。北海道の先住民であるアイヌには馬を飼育する習慣はないことから、道産子は中世以降に東北地方から北海道に移入された馬の子孫と言われています。

 

道産子の体高は約125~135cm、体重は約350~400㎏と日本在来馬の中では大きく、アラブ種に匹敵する体格を持ちます。道産子は北海道の厳しい気候に適応しており、厳しい寒さに強いほか、背中に重い荷物を搭載できる高い耐久性を併せ持っています。北海道開拓時代には、開拓民の貴重な交通手段として重宝されたという話も残っています。

 

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ながら日本史

 

 

木曽馬

 

木曽馬(きそうま)は長野県南部の木曽地方に生息する日本在来馬です。体高は130cm程度、体重は350~400kg程度と大きく、日本在来馬の中では堂々たる体格を誇っています。また、山間部で育てられた木曽馬は蹄が固く、悪路の走破性に長けています。

 

木曾義仲(源義仲)武士 鎌倉

 

木曽地方は平安時代より馬の産地として名高く、木曽で生産された木曽馬は軍馬として知られており、源平合戦の時代の木曽義仲(きそよしなか)(源義仲)のほか、南北朝時代の武将・新田義貞(にったよしさだ)も木曽馬を利用していたといわれています。

 

そんな木曽馬も明治以降は洋種馬に押されてあまり生産されなくなり、一度は絶滅しかけます。しかし、戦後に長野県や県内の畜産業者からなる木曽馬保存会は木曽馬の保存に乗り出し、最後の純血木曽馬と言われる第三春山号を種牡馬として木曽馬の血統を繋ぐことに成功しています。1983年に木曽馬は天然記念物となり、現在も木曽馬の保存活動は続いています。

 

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はじめての鎌倉時代

 

 

御崎馬

 

御崎馬(みさきうま)は宮崎県の都井岬に生息する日本在来馬の一種であり、天然記念物に指定されています。御崎馬は体高130cm前後、体重300kg前後と、小ぶりな体格が特徴です。

 

御崎馬は都井岬一帯に位置する広大な「御崎牧場」でのびのびと放牧されていることが知られています。御崎牧場の歴史は古く、その起源は江戸時代の1697年にまで遡ります。江戸時代以来保護されてきた御崎馬も、明治時代以降は洋種馬の普及によって幾度も絶滅の危機に瀕しています。

 

しかし、1953年に御崎馬が天然記念物に指定されると、国や自治体による保護が行われるようになり、広大な御崎牧場において人の手をなるべく加えることなく、半野生状態での飼育が続けられています。

 

こうした半野生状態の御崎馬たちは、毎年一カ所に集められて検査が行われていますが、この際に御崎馬を集める行事は「都井岬の馬追い」と呼ばれ、多くの観光客を集める一大イベントとなっています。

 

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ほのぼの日本史Youtubeチャンネル

 

 

対州馬

 

対州馬(たいしゅうば)は長崎県の対馬に生息する日本在来馬の一種です。体高は平均120cm台と小ぶりですが、急峻な山地が聳える対馬の地形に適応し、悪路の走破性に長けています

 

急斜面の多い対馬において対州馬は住民の重要な交通手段であり、かつては各家庭に必ず対州馬が家畜として飼われていたと言われています。しかし、戦後の道路建設と自動車の普及によって対州馬の需要は激減し、2005年の飼育頭数は25頭にまで減少し、いつしか対州馬の絶滅が危惧されるまでになってしまいます。

 

対州馬の減少に対し、対馬では1972年に「対州馬振興会」がつくられ、対州馬の繁殖や飼育、保全活動が行われています。現在では対州馬による草競馬である「馬跳ばせ」が行われるなど、対州馬は対馬の観光資源の一つとなっています。

 

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馬が動かした中国史

 

 

野間馬

 

野間馬(のまうま)は愛媛県今治市野間に生息する日本在来馬であり、その体高はわずか110~120cmに過ぎないことから、日本最小の在来馬と言われています。野間馬は江戸時代に品種改良によってつくられた品種とされており、耐久性に優れ、蹄が固く悪路の走破性が高いことから農耕馬として重宝されました。

 

戦後、自動車の普及によって野間馬の需要は激減し、一時は絶滅の危機に瀕します。しかし、1988年に野間馬が天然記念物に指定されると今治市が本格的に保護に乗り出し、在は今治市にある野間馬ハイランドなどで80頭ほどが飼育されており、保護が進められている一方、野間馬ハイランドでは乗馬や野間馬とのふれあいができるなど、市の観光資源にもなっています。

 

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赤兎馬はカバ

 

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大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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