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「鏡」も卑弥呼の占いの道具だった?
卑弥呼は当時の魏に使者を送っていますが、その返礼に「銅鏡100枚」が贈られたそうです。鏡は現在でも神社に祀られていることが多いことから、「神聖なもの」と古代から扱われていました。その鏡を手に入れた卑弥呼はその道具を占いで使って自分の神聖さを高めていたのかもしれません。
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その後の「卑弥呼」と「邪馬台国」
卑弥呼が亡くなり、跡継ぎに「台与」と言われる女性が立ったことは「魏志倭人伝」に記載されていますが、その後は中国の史書から倭国の記載は消え、再び史書に登場するのは5世紀になってからです。そのころの倭国は占いで国を治めるのではなく、武力で君臨する国家に変わっていました。
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三国志ライターみうらの独り言
卑弥呼は占いで国を治め、その道具として「骨」を使っていたと考えられます。邪馬台国についてはわからないことが多すぎますが、その「占い」の道具がもっと見つかれば、邪馬台国の秘密も明かされるかもしれませんね。
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