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陸遜と交換すると代わりに憤死
呉からもう一人、同じく伝が個人で立てられている陸遜とのとりかへばや。こちらは実は筆者一人ではなく編集長との談話でも盛り上がったのですが……
「結論:最終的に憤死」
ですよねー!似てるもんねー!
これはもう諸葛亮がどうとか陸遜がどうとかではなく、孫権が意外と相手を選ぶ存在だと思うんですよ!そして編集長曰く「孫権の弟属性」こと「んもー呉王様ってば仕方ないなー」っていうのが諸葛亮には効かないですからね!
良いから言うこと聞けコラ!からの関係破綻、目に浮かぶ……陸遜は陸遜で憤死とはいかないけどやっぱり蜀で過労死しそうで……
何だかんだ、同じような最期を迎えるかもしれません。
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竹中半兵衛と交換すると晩年の秀吉次第
ラストは今孔明と呼ばれた竹中半兵衛殿!
やはり三顧の礼で迎え入れられ、秀吉の天下に貢献しつつも、その道の間で亡くなった人物!
え、既に三国志とりかへばや関係ない???
それはそれとして竹中半兵衛と取り替えたら面白いですよ!
きっと後の世に「諸葛孔明、今竹中と呼ばれた存在」とか言われると考えただけで凄い面白いと思います!
何だかんだ秀吉と諸葛亮の相性は悪くないと思うし……晩年の秀吉がどうでるかは、まぁ、今回は触れない方向で。
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三国志ライター センのひとりごと
今回は余談のケースも考えて三国志とりかへばやだけでなく、戦国時代ともとりかへばやしてみました!
諸葛亮のとりかへばやで気付いたのは、やはり諸葛亮は蜀だったからこそ輝いた部分も大きいこと。そして同時に呉王様、仕える人間選ばなきゃいけない人なんだな……とも再確認しました。そんな最近、気が付けば呉王様のことばかり考えている筆者でした。
皆さんも三国志とりかへばや考察、どうぞ話の種によろしくお願いいたします。
どぼん!
参考文献:蜀書諸葛亮伝
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