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劉備はどんな学生時代を送っていたのか?英雄の卵もその頃?

2022年4月19日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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学生時代の劉備の過ごし方

蜀の劉備

 

またこの学生時代の劉備は学問を好んだ……という訳ではなく、乗馬や闘犬などの遊びに明け暮れており、どうにもそこまで真面目に学問に取り組んだかどうかについては触れられていないのですね。

 

劉備 黒歴史

 

ですが身なりを整え、様々な若者たちとの交流を好んだと言います。なので若者たちも良く劉備と交流をしたと言い、後のカリスマ性はこの学生時代には既に発揮していたと言えるでしょう。

 

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公孫瓚らとの交わり

劉備と公孫瓚

 

因みに劉備が仲が良かった人物の一人に、公孫(こうそん)サンがいます。また高誘(こうゆう)牽招(けんしょう)らとも良く交流をしており、特に牽招とは「刎頸(ふんけい)(まじ)わり」と言う「お互いに首(頸)を切られ(刎ねる)たとしても悔いることがない仲」だったと言われています。

 

三国志演義_書類

 

牽招は後に曹操(そうそう)に秀才として高く評価されて魏の将の一人となりましたが、このためか三国志演義(さんごくしえんぎ)には残念ながら登場せず、どちらかというと公孫サンとの友情の方が(それも割とサラリとしていますが……)描かれるようになったのは寂しい所です。

 

しかし学生時代の劉備もまた多くの人に恵まれ、後の天下を夢見た少年の一人だったというのは後の物語を感じさせる一幕ですね。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

個人的には「刎頸の交わり」が好きなので三国志演義でも触れて欲しかった所ですが、これを描くとこの後のメインイベントの一つでもある桃園(とうえん)の誓いがやや印象が薄くなるから削られたのかもしれませんね。

 

ポイント解説をするセン様

 

ですが劉少年の幼い頃、学生時代もまた英雄の兆しを感じ、面白いと思います。皆さんもこの機会に、まだ成長途上の劉少年について考察して見て下さいね。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

どぼーん。

 

参考:蜀書先主伝

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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