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学生時代の劉備の過ごし方
またこの学生時代の劉備は学問を好んだ……という訳ではなく、乗馬や闘犬などの遊びに明け暮れており、どうにもそこまで真面目に学問に取り組んだかどうかについては触れられていないのですね。
ですが身なりを整え、様々な若者たちとの交流を好んだと言います。なので若者たちも良く劉備と交流をしたと言い、後のカリスマ性はこの学生時代には既に発揮していたと言えるでしょう。
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公孫瓚らとの交わり
因みに劉備が仲が良かった人物の一人に、公孫サンがいます。また高誘、牽招らとも良く交流をしており、特に牽招とは「刎頸の交わり」と言う「お互いに首(頸)を切られ(刎ねる)たとしても悔いることがない仲」だったと言われています。
牽招は後に曹操に秀才として高く評価されて魏の将の一人となりましたが、このためか三国志演義には残念ながら登場せず、どちらかというと公孫サンとの友情の方が(それも割とサラリとしていますが……)描かれるようになったのは寂しい所です。
しかし学生時代の劉備もまた多くの人に恵まれ、後の天下を夢見た少年の一人だったというのは後の物語を感じさせる一幕ですね。
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三国志ライター センのひとりごと
個人的には「刎頸の交わり」が好きなので三国志演義でも触れて欲しかった所ですが、これを描くとこの後のメインイベントの一つでもある桃園の誓いがやや印象が薄くなるから削られたのかもしれませんね。
ですが劉少年の幼い頃、学生時代もまた英雄の兆しを感じ、面白いと思います。皆さんもこの機会に、まだ成長途上の劉少年について考察して見て下さいね。
どぼーん。
参考:蜀書先主伝