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朱桓の性格
ここで少し、朱異の父・朱桓の性格を見直してみましょう。
朱桓は多くの配下の兵士たちには慕われていましたが、同僚とは揉めることが多かったようです。特に他人からの指示を嫌い、同僚の全琮との間で言い争いから殺害事件まで起こしています。(捕捉しますが、殺されたのは別の副官二人です)
この一件、どこか息子の朱異が引き起こした出来事につながるとは思いませんか?
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カッとなって暴れるのは遺伝かも…
諸葛恪との暴言の一件と言い、孫チンとの争いの果ての死といい、朱異は良くも悪くも朱桓の子であるという印象が強いですね。
この件について、朱異が正しかった間違っていた、諸葛恪や孫チンが正しかった間違っていた、そういうことを抜きにして考えても、どうにも同僚と上手くやれない、カッとなるとやらかす朱桓の子であると感じさせられます。
朱桓は最期こそ穏やかに迎えられましたが、一歩間違っていたら朱異の最期は朱桓の最期であったのかもしれない……そう考えてしまうほど、何とも似ている親子ですね。
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三国志ライター センのひとりごと
朱異の最期は相手が孫チンなこともあって、どうにも朱異に同情してしまいますが……個人的には、朱異はこの末期の呉においてはそれほど長くは生きられなかったのではないかと思います。あらゆる意味で「そういう」生き方ができない血筋ですよね。
しかしここで殺されたからこそ呉の最期は見ずに済んだと考えると……うーん、何とももの悲しい塞翁が馬になってしまいますね。
ともあれ、いくつもの親子の中でかなり血筋を感じる朱異と朱桓でした。
どぼん!
参考文献:呉書朱異伝 呂範伝 呉書
【奇想天外な夢の共演が実現 はじめての架空戦記】
kawa註:塞翁が馬とは?
正確には人間万事塞翁が馬と言います。ざっくり言うと大昔、塞という名のお祖父さんの家の馬が逃げてしまい近所の人が慰めに来ました。しかし、お祖父さんは特にその事を嘆かず平然としています。
しばらくすると、逃げた馬は恋人の馬を連れて戻ってきました。近所の人は「不思議な事もあるものだ」とお祝いの言葉を述べますが、塞お祖父さんは「よきことも悪き事も因果は1つである」と少しも嬉しそうではありません。
やがて、お祖父さんの子が落馬して足を折り走る事が出来なくなります。近所の人は「馬が帰って来たせいでとんだ事になってお気の毒に」と塞お祖父さんを慰めますが塞じいさんはいつも通りで、悲しそうでもありません。
やがて、国で大規模な戦争が起き塞お祖父さんの村でも若者は根こそぎ徴兵されましたが、足に障害がある塞お祖父さんの子は徴兵されませんでした。徴兵された若者はほとんど村に帰ってきませんでしたが、塞お祖父さんの子は長寿して沢山の子孫に恵まれ幸福に暮らしたそうです。
このことわざは人生は人智を超えたものであり、良い事は悪い事に悪い事は良い事に転じ千変万化するものであり、今が不幸だからと嘆く事も今が幸福だからと喜ぶ事もせず、ただ淡々と日々を過ごしなさいと教えています。
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