三国の一つである呉。孫権の父である孫堅の非業の死に始まり、兄・孫策の天下への飛翔。
しかしこれまた志半ばでの死からやってくる孫権の時代と、三国志の中でもドラマチックな代替わりシーンが印象深いですね。今回はそんな呉の武将、名将の一人でもある朱桓についてご紹介しましょう。
朱桓という人物
朱桓、字は休穆。その剛直さゆえに悲運の最期を遂げた朱拠は同族になります。
朱桓は民衆や兵士に優しかったとされ、疫病や飢饉で苦しんでいた民には盛んに施しを行い、このために慕われていました。身分が下の者たちからは絶大な信頼を寄せられていたというと、どこか関羽を思い起こしますね。
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儒須口の戦い
朱桓は幾つもの戦いで功績を挙げていますが、彼と言えばまずは儒須口の戦い。223年、儒須口を守っていた朱桓。この年に魏が呉に攻め込みます。朱桓が戦ったのはあの樊城での記憶がまだ新しい曹仁でした。
当初こそ曹仁の陽動作戦に引っかかってしまった朱桓は、数千の兵しかいないのにも関わらず、曹仁の兵数万に取り囲まれます。しかし朱桓はここで驚くべき言葉で部下を鼓舞します。
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曹丕「は?」
「曹丕は俺より下、つまりその曹丕の部下は俺よりも下!」
本当はこれ以外にも「戦は兵力じゃなく指揮官」「敵は遠征で疲れてる」とごもっともな意見も言っていますが、何よりも強烈なのがこの一言。
そして曹仁の軍を呉の十八番火計で打ち破って損害を与え、退却に追い込みました。これでしっかりとキメてくれるからこそ輝く朱桓の名将っぷりです。
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葬儀代も施した善性
その後も石亭の戦いでも活躍して前将軍に。後には敵の計略を見破る、敵が相手が朱桓だと知って怯えて追撃ができなくなるなど、各所で活躍します。
しかし238年、62歳でこの世を去ります。前述したように民や兵士たちに良く施しをしていた朱桓は私財が殆どなく、それを聞いた孫権は葬儀代を与えてやったと言います。
朱桓は一万近くの兵士を抱えていたにも関わらず、その妻子の顔や名前を覚えていました。それほど自分たちを愛しんでくれた将軍の死を、多くの人々が嘆き悲しんだと言います。
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その一方で……
さて民や兵士を愛しんだ朱桓ですが、その一方で同僚との揉め事ばかり起こしました。
一番強烈なのが全ソウとのエピソード。ある日軍議で言い争いになった二人、全ソウが弁解のために「責任は胡綜にあるから……」と言ってしまったからこれが大変。朱桓は胡綜を殺そうと陣に乗り込み、副官が胡綜を逃がしたために胡綜は助かりますが、怒った朱桓はこの副官を切り殺してしまいました。
とんでもないことを起こした朱桓は病気ということで更迭されますが、孫権は朱桓のこれまでの功績から罪に問わないとしました。因みに現場復帰もしました……ええ……殺された人はとばっちりじゃないか……?
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