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季漢輔臣賛で差別される裏切者4名
前述したように、この季漢輔臣賛は劉備の漢を支えた名将たちを讃えるものです。なので彼らには最大限の敬意を払われているのですが、それと相対するように記されているのが糜芳、士仁、カク普、潘シュンの四名なのです。
彼らは役職でもなく、字を使用されることもなく、その存在を貶められています。彼らは故国を裏切った者で、だからこそ陳寿はそんな扱いをしたのだ……というのが通説のようになっていましたが。
ここで、潘シュン伝を思い出して下さい。
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陳寿は公平に潘濬を扱った
確かに蜀の立場にから見たであろう、季漢輔臣賛では潘シュンへの評価は厳しいものです。潘シュンはあくまで裏切り者だったのでしょう。しかし呉伝における潘シュンは決して裏切り者ではなく、寧ろ硬骨漢とされ、立伝もまたその評価に相応しいものとして扱われています。
陳寿の記した三国志はあくまで歴史書。そこに陳寿の立場や思想は深く入れ込むことなく、あくまで呉の一名臣としての評価を行っています。このようなことは中々できないことです。
筆者はこのことに、ただ陳寿への尊敬の念を送らずにはいられないのでした。こういったことができた陳寿は、やはり歴史を記すことを任された一人だと思いますね。
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三国志ライター センのひとりごと
陳寿は潘シュンに、国の目ではなく、一個人でもなく、歴史を記す者としての目を向けました。だからこそ潘シュンの話は、同時に陳寿の凄さも良く表していると思います。
の、一方で黄皓の評価が厳しいのは陳寿の過去の恨みから!なんてことも言われてしまう陳寿先生。そちらもそちらで陳寿先生の人としての一面が覗き見えたかのようで、結構好きな筆者でした。
ちゃぽーん。
参考文献:呉書潘シュン伝 季漢輔臣賛
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