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祈祷で病気を癒した張陵
張角が符を浸した水を飲ませて病を治した、とあるように、張陵もまた、病に苦しむ人を救っていたそうです。その救い方ですが、祈祷を行うことで病を治したとされ、残念ながらどのような方法かは詳しくは分かりません。治る側からすればその辺りの理論はそこまで重要ではなかったのでしょう。だからこその奇跡です。
で、どこが問題かと言うとこんな奇跡を起こして自分たちを救ってくれた人の孫、血縁関係なのでもしかしたら張魯が奇跡を起こせるかどうかは余り重要視されていなく、更に言うなら張魯の祖父の張陵について三国志でも三国志演義でも殆ど触れられません。このため、五斗米道の教祖(何をしたかは不明)という存在になってしまったのではないでしょうか。
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領地から玉璽が出てくる奇跡が起きた張魯だが
因みに水滸伝の冒頭で出てくる張天師と呼ばれている張魯の子孫役?は祈祷で何やかやができるという設定を活かされているようです。とは言え、張魯の記録は主に結構有能な統治者と言った記録のみで、宗教団体のトップとしての不思議なアレコレはそこまでありません。
ただ死後にちょっと不思議なことが起こったことと……実は領内から玉印が出てきたとか言うとんでもない記録が残されているのみです。玉印と言えば玉璽、つまりは天子の証とも言える存在ですが……それを献上された張魯は、王を名乗るべきと言われるも「厄介ごとに巻き込まれますよ!」という家臣の真っ当な意見を聞き入れて、これはなかったことになったそうです(ついでに玉印もその後は不明)。
いやー、玉印手に入れて皇帝を名乗らないなんてすごい判断ですね!ねっ袁術様!
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三国志ライター センのひとりごと
張魯の五斗米道は大平道を参考にしたようなものとも言われており、あくまで政治の一つの手段としての宗教、という扱いであったのかもしれません。
とは言え張魯の五斗米道は破綻することもなく、現在でもその形は残されています。三国志演義でも「妖術」という単語は出てくるのですから、もうちょっと張魯に何らかの妖術要素を加味しても面白いのではないかな、とも思いました。
その一方で三国志演義とは違い、しっかりと漢中を統治した張魯の姿も知って欲しい所ですね。五斗米道自体がどのような宗教であったのかは、また別の機会に解説したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
どぼーん!
参考文献:後漢書皇甫嵩伝 魏書張魯伝
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