三国志というのはみもふたもない言い方をすれば群雄割拠の時代から、三国と呼ばれる国々が出来上がり、戦いの果てに一つ一つと脱落していく様です。
いわゆる、乱世と言われる時代でしょう。そういった時代では人々は英雄に、この時代を救ってくれる人々を見出そうとします。そんな中で黄巾党を始めとした仙人とも呼ばれる宗教団体の存在が良く出てきますが……
その中で、ちょっと異端に見えるのが五斗米道の教祖、張魯。実は彼には教祖なのに「奇跡」が足りないのでは?
その事についてお話をしたいと思います。
この記事の目次
大平道の教祖、張角
まずは黄巾の乱を引き起こしたとも言われる、張角についておさらいをしましょう。張角は三国志……というか、その前とも言える後漢書に記録があります。
彼は大平道の教祖となった人物であり、実際にはどんな人物でどう過ごしていたのかは分かっていません。ただその信者は多く、漢王朝の権威が失墜して乱れまくる時代において彼は大平道の信者たちを養っており、多くの人々が彼と彼の大平道を心の拠り所としていたのでしょう。
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張角は黄巾の乱を起こすが、すぐ病死
後に彼は「蒼天既に死す」のスローガンを掲げて、信者たちを引き連れて黄巾の乱という一大イベントを起こします。ただし、乱が始まった時には既に病気によって張角自身は亡くなっていたとされ、討伐軍に彼の弟たちも討たれ、大平道の漢王室への謀反とも言える行動はすぐに鎮圧されました。
ただし黄巾党、黄巾賊を名乗る反乱が各地で起こり、王朝の権威は最早立ち上がれないほどに地面にめり込んでいくこととなります。
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病を治す奇跡を起こした張角
そんな大平道の教祖、師父たる存在が張角です。ゲームなどでは三国志演義のイメージが投影され、怪しげな妖術を使う存在のように描かれることが多いですね。そんな妖術はありません……と言っても全てが全て創作という訳ではなく、後漢書には以下の記述があります。
「張角は符を浸した水を飲ませて病人を治した」
乱れに乱れた世の中、病で苦しむ人たちからすれば、謎の符を浸した水を飲むと病気が治った……確かにこれは奇跡でしょう。
ついて行きたくなるのも分かりますし、同意に宗教の教祖となった存在の多くは、信者にこのような奇跡を見せるのはお約束とも言えます。
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奇跡を起こさなかった教祖、張魯
さて三国志に出てくるもう一つの宗教団体と言えば、漢中の五斗米道。そしてその教祖が、張魯です。ですが張角と違い、この張魯はどのような奇跡を起こしたのかがはっきりしていません。
それは三国志演義であっても同じで、ある程度の創作要素を入れられる三国志演義においても張魯は何の術を用いたなどの記述を見ることができないのです。これ、ちょっと不思議ですよね。
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奇跡を起こした張魯の祖父、張陵
もう一つ、張魯と張角に違いがあります。張角は教祖であり、大平道の開祖です。つまり大平道という宗教を作った人物です。しかし張魯は教祖であり、その実、五斗米道の開祖は張魯のお爺ちゃんである張陵なのです。因みにお父さんが後を継ぎ、そのお父さんが亡くなったので張魯が三代目を引き継いでいました。
で、この開祖である張陵はきちんと奇跡と言えることを起こしています。これこそが張魯が奇跡を起こした形跡がない理由の一つだと思われます。
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