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金銭に厳しかった呂範
さて気分を変えて、呂範のエピソードをご紹介したいと思います。それは孫策がまだ在命時、呂範は会計を任されていました。そこに孫権が良く「お金を貸して!」と通っていたそうです。
しかし呂範は必ず孫策に伺いを立ててからでないと孫権にお金を渡しませんでした。一方で他に、帳簿を書き換えて孫権にすぐお金を貸してくれる会計もいたそうで、孫権は「こっちの人の方がすきだなー!」(予想)とか思っていたそうです。
が、後に孫権は「あの時はああ言ってたけど呂範の方が信頼できる、あの会計は信用できないわ」と零していたそうです。いや言いたいことは分かるけど貴方がそれを言うのですが呉王様。(んもう!)
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光武帝と同じくらい信頼された呂範
そんな風に孫権から信頼されていた呂範ですが、ある時、厳畯は孫権に呂範と魯粛を信頼しすぎでは、と言いました。この時に孫権は光武帝の話を取り上げ、如何に呂範や魯粛が信頼できるか、そして信頼するに値する功績があるかを良く説明したので、厳畯もその言葉に納得したといいます。
晩年、呂範は豪華で派手なものを好む性格になったそうですが、それでも孫権は変わらず呂範を信用し、呂範もそれに応え、仕事はしっかり、仕事と私事を分けて振る舞っていたようです。このため陸遜らからも呂範は信頼され、彼は誠実な人柄のまま、呉に仕え続けたのでしょう。
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三国志ライター センのひとりごと
呂範もまた、誠実な人柄ですね。前述したように、孫策と言えばどうしても周瑜の存在が出てきますが、それと同じくらい、呂範と朱治の存在があったと思います。だからこそ孫権もまた、そんな彼らに例え思うことがあったとしても、良く話を聞き、重く用いたのでしょう。
特に呂範と孫権の最期の話はほろりと来る、切なくも感動するお話なので、どうぞ呉王様のかわいらしい話好きな方には広めて頂きたいエピソードですね。
ちゃぷり。
参考文献:呉書呂範伝
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