募集期間:2021年6月(1週間)
三国志では色んなところで色んなひとたちが戦っていますが(ざっくり)、それらの戦いは後世で「○○の戦い」と呼ばれるようになりました。この戦いの名前はその地名、もしくは戦地となった城の名前で呼ばれます。
とは言ってもこの城とは私たちが慣れ親しんだ日本の城とは異なり、小さければ村々、大きければ都市規模を城壁で囲んだような造り。そんな中でも「三国志を代表する城は?」
三国志ファンの皆さんが選ぶ「城」はどこになるでしょうか?
白帝城
「白帝城に一票!劉備サンの最後……このお城ですからねぇ」
「三国志の三巨頭の一人、劉備の没した所なんで、白帝城で」
「オヤビン派の私は白帝城を推す!」
引用元:はじめての三国志TV
さて白帝城では……窮地に陥りながらも籠城戦を続けた、凄惨な戦いが繰り広げられた……そういう一件はありませんが、三国志ファンにとって白帝城は殊更思い入れのある城。
そう、白帝城と言えば、コメントにもある通り、劉備の没した場所と言われています。劉備が最期を迎えた、しかも夷陵の戦いと言う大敗北の後で……もはやこれだけでも、白帝城が特別に思い入れをしてしまう場所になるのではないでしょうか。。
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陳倉城
「一番多いだろうなって思ってた陳倉が一番少なかった...」
引用元:はじめての三国志TV
陳倉城とはかの名将、曹真大将軍の先見の明が神々しくも輝く、蜀からすれば第二次北伐の一戦です!(興奮)陳倉の戦いとも呼ばれますね。
曹真は予てより諸葛亮がここを攻撃してくることを事前に予測しており……という、曹真のみならず、張コウも歴戦をくぐり抜けてきた将であることが知れる戦い、ぜひ曹真伝、張コウ伝を読みましょう。(ステマ)
因みに注釈の魏略によればカク昭の奮闘もあったとされ、曹魏の人材の厚さも良く分かる戦いです。
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合肥城
「合肥は張遼が呉軍を破った所だから好き」
「やはり合肥。リアル三國無双をガチで孫権に目の前で見せつけた張遼の恐ろしさを呉の子どもたちにまで浸透させた舞台ですからね。なにせ合肥は張遼の呪いがかかってるのかと思う程、呉軍の死亡フラグになってますから・・」
引用元:はじめての三国志TV
やはり合肥と言えば張遼、張遼と言えば合肥。もちろん李典や楽進らの活躍も忘れてはいけない合肥の戦いです。余りに凄まじい張遼の活躍は、三国志演義では弱体化された模様……弱体されてアレか……というリアルな三國無双の体現っぷりです。
そしてその張遼は「遼来(張遼が来たぞ!)」と言えば泣いている赤ん坊さえも黙ってしまうとまで言われ、後に孫権は張遼が病気と聞いても「張遼が病気くらいでやられるわけない!」とトラウマになった御様子。
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官渡城
「イメージとしては私も合肥城や白帝城のイメージがありますが、三国志の天下分け目の戦いといえば官渡の戦いかと思い官渡城に一票しました」
引用元:はじめての三国志TV
官渡の戦いは曹操と袁紹の戦い。やや不遇なのは劉備が主役級の話では、関りがないためか結構カットされがちな所だからでしょうか。最終的に曹操が勝利したとはいえ、別に簡単に勝利したということは一切なく、寧ろ諸将が頑張りに頑張りを重ねて奮戦し、袁紹軍の仲間割れなども重なって手繰り寄せた勝利です。
コメントのように、天下分け目の戦いと言えば官渡の戦い、正にその通りですね。
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樊城
「樊城の戦いこそが三国態勢の崩壊につながっているため樊城を推しますね」
「関羽・朱然に攻められても、落ちなかった樊城。名将曹仁の活躍の舞台。主将もさる事ながら、満寵・胡質の活躍も見逃せない」
「曹魏の北荊州の最終防衛ライン…此処落城したら…関羽軍の中原への進撃を許して、曹魏分断の危機‼️ 樊城死守した曹仁は凄い、水攻めに、士気低下、馬首を切断してまで、降伏しない意気込みは凄い、現在も樊城のある北荊州は長江の猛威は衰えない」
引用元:はじめての三国志TV
さて官渡の戦いが三国志初期の天下分け目の戦いとすれば、三国志後期の天下分け目の戦いと言えるのはこの樊城の戦いでしょうか。ここで関羽を迎え撃ったのは曹仁。
どうして落城しないのか分からないような状態で必死に樊城を守ります。もちろん、その曹仁をサポートした満寵らの活躍も忘れてはいけませんね! ※余談ですがここで曹仁と共に樊城を守り抜いた満寵、後に合肥に赴任するので孫権涙目。
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三国志ライター センのつぶやき
さあ最後にピックアップさせて頂くのはこちらのコメント。
「自分は建業城です。孫権が作り上げたこの城は三国時代を超えて建康となっても南朝の都として隋によって壊されるまで続きました。改めて孫権の先見の明に深く感じ入ります」
引用元:はじめての三国志TV
今回は合肥だ樊城だとどうしても魏が輝く場所のチョイスが多くなってしまっていたのですが、その中でも建業城をコメントして下さる方もいて、とても嬉しくなりました。三国志の間のみならず、後の時代まで残った……胸が熱くなる展開ですね。
何だかんだ言われてしまう孫権ですが、彼もまた、三国志の英傑の一人、ということが良く分かります。
「宛城(小声)」
ちょっとー曹操くん泣いちゃったじゃーん。
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引用元:はじめての三国志TV