この記事の目次
五虎大将軍・関羽
関羽は劉備旗揚げ時から付き従っています。劉備、張飛と義兄弟の契りを結び、その絆は深いものでした。知勇兼備で武勇に優れた武将で、義理人情にも厚い人物でした。しかし、人を見下す癖があり、それが彼の命を縮めたと言われています。
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五虎大将軍・張飛
関羽とともに劉備と義兄弟の契りを結びました。戦場で目覚ましい働きをし、「長坂の戦い」では曹操軍を恐怖に陥れました。関羽とともに蜀軍の中枢を担いましたが、酒癖が悪く、部下にも厳しく当たったため、最期は寝首をかかれてしまいました。
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五虎大将軍・馬超
涼州の独立勢力出身で、曹操とは対立関係にありました。「潼関の戦い」で曹操を追い詰めましたが果たせず、劉備軍に帰順することになりました。劉備軍では目立った功績はありませんが、涼州の土地勘があったこと、異民族とも関係があったことから重用されていたと考えられます。
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五虎大将軍・黄忠
元は韓玄に仕えていましたが彼を見限り、劉備に仕えました。益州平定や「定軍山の戦い」で功績をあげ、後には将軍職として活躍しました。「老将」のイメージが強いですが、生年が不明のため、劉備軍にいたときは実際何歳くらいだったかはよくわかりません。
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五虎大将軍・趙雲
初めは公孫瓚に仕えていましたが、のちに劉備軍に加入しています。「長坂の戦い」で劉備の息子(のちの劉禅)を救うために獅子奮迅の活躍をしました。「五虎大将軍」メンバーの中では最後まで生き残り、蜀の重鎮となっていました。人気が高く、彼を主人公にした映画も作られています。
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三国志ライターみうらの独り言
「五虎大将軍」には思ったよりは序列は無いようですね。しかし、当時の武将は気が強そうでしたから、知らないところで争いがあったかもしれませんね。
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