孫権「あの者が欲しい」
では文醜はと言うとこっちはもっと凄い活躍をします。顔良の敵討ちをしようと出てきた文醜、かの猛将に張遼の放った矢が襲い掛かる。しかし文醜、これを一太刀で切り落とす!
張遼の放った矢を切り落とす?これには呉王様もスタンディングでは?
更にはこの後徐晃をも倒してしまうので(なんで徐晃二連敗しているんだ……)やはり、文醜の強さも相当なものであったのです。まあやはりこの後、関羽に斬られちゃう訳ですが。しかし張遼、徐晃の攻撃を退ける、つまり即ちやっぱりこれは顔良文醜三国時代最強ってコトね!
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※三国志演義の演出です
まぁこれはあくまで三国志演義の演出に過ぎません。いや~な言い方をすると関羽の引き立て役として、間接的に徐晃や張遼も含まれちゃっている、とも言えるかもしれませんね。
ですが事実、張コウがいるにも関わらず顔良、文醜は袁紹軍の旗とも言える武将でした。しかし後年、曹操に仕えた張コウは知勇兼備の名将として名高くなります。
もっと言うと、張遼の合肥での活躍、樊城での徐晃の活躍などは、皆さんも良くご存知でしょう。嘗て、顔良と文醜は猛将の看板とも言える人物でした。しかし彼らは討ち取られ、後に更に名将と呼ばれる彼らが出てきた。それに筆者は彼らの成長、伸びしろの高さ、更にはその成長を驕ることがない「強さ」を感じたのです。
そう考えると、当時の三国時代最強、それは「嘗て」顔良と文醜であった……それは、何だか時代の流れの面白さを感じさせてくれるのではないでしょうか。
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三国志ライター センのひとりごと
関羽も関羽で好きなのですが、何だか晩年の気の強さと言うか、三国志演義でも黄忠や馬超と並べられて不満を言う場面、少しがっかりした気分が忘れられない筆者です。
その一面が無ければ正に完璧超人で面白くないだろ……と言われればそうなのですが。それを考えると張遼や徐晃、張コウが余り驕ったような印象がないのは、やはり降将という立場が彼らを謙虚にさせたのでしょうか?
まぁそこについて考えだすと「じゃあもっと劉備が関羽を諫めるべきだったのでは……?」という兄弟問題になってしまうので……三国志沼はどんどんと深くなっていく訳ですね。
どぼーん!
参考文献:魏書荀彧伝 武帝記、蜀書関羽伝 三国志演義
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