関平の活躍
前述したように、関平の活躍の殆どはほぼ三国志演義によるものです。とは言え実際の関平がどうこうというものではなく、正史における関平の記録が殆どないからこそ、父と共に斬られてしまう関平の活躍は華々しく描かれた、と言っても良いのではないでしょうか。
そしてこの活躍があってこそ、後に関平は「関帝廟の随神」として祀られるまでになったのではないかと思います。
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関平と周倉
ここでもう一人の、いえ、もう一神。関帝廟の随神として、周倉がいますね。関平は正史においても記録がありますが、周倉は正史には出てきません。三国志演義のオリジナルキャラクターです。
とは言っても周倉にも元ネタではないか?と言われる武将はたくさんいます。そのどれもが色々と考えさせられる人物でもあるのですが、今回は敢えて!
「周倉は関平がいたから生まれたキャラクターでは?」というのを妄想してみました。
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随神
さて前述したように関平は関羽の養子、とは言っても従者の身ではなく、実子以上の活躍の場を持ち、義父に対する忠義も篤く、最期はそれに殉ずる……というキャラクターです。何よりも大事なのは、関羽の子、であるということ。関羽の部下ではないのです。
しかし相手は軍神・関羽。血筋ではなく義で結ばれた息子と共に、忠で結ばれた配下が一人くらい欲しいではないか!いやいる!そう、関羽を深く慕い、いついかなる時も関羽の傍を離れない、つまり赤兎馬にだって追い付けちゃう、そんな部下が必要……そうだね、周倉だね!
……という流れで、周倉という人物が生まれた可能性を考えてみました。当初、関平はもしかすると養子ということもあり、部下のような立場であったかもしれません。しかし関平がより活躍し、子、という立場が引き立ったこともあって、より周倉の部下、という立場が引き立てられたのではないでしょうか。
だからこそこの二人が関帝廟の随神、関羽の両壁代表となったのではないか、と思う筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
三国志演義では、言い方は悪いですが「話の都合」で生まれるキャラクターも多くいます。夏侯恩とかがその例でしょうかね。もしかすると関平や周倉も、そうだった可能性もあります。
これは妄想なんですが、書いている内に羅貫中先生が乗ってきてしまって……そうこうしている内に人気が出て……更に関羽の人気と共に、関平と周倉の人気も出て……というのを妄想してみました。
元ネタを探るのも楽しいですが、羅漢中先生の筆の冴え!というのも、中々に面白いかと思います。やっぱり三国志、最高だね!
参考文献:三国志演義 蜀書関羽伝
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