孫呉キラー
さてさて、その後も孫策、そして孫権が何度も攻め込んで来ますが、陳登は何度もこれを追い返します。陳登は兼ねてより孫家の恐ろしさは理解しており、度々曹操に孫家の危険性を説いていたと言います。
後に曹操はこの事を思い出して「陳登の言う通りだった」と孫家に早く対処をしなかったことを悔やんだと言います。そしてそんな陳登は39歳という若さでこの世を去りました。前置きが長くなりましたが、この死因が何とも言えない死因なのです。
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鱠スキー
陳登は、嘗て名医華陀に治療されたことがあります。これは食中毒とも言われますが、その原因が魚の鱠を食べて起こったとのこと。なます、と言われると大根やニンジンの酢の物を思い浮かべますが、この場合の鱠は生魚、現代で言うお刺身のようなものでしょうか。
この時に華陀先生は「腹に虫がおりますので治療します」と仰っているので、生魚を食しての寄生虫と思われます。
そして華陀先生の治療によりこの病は治ったのですが、華陀先生から一言。「この病は三年後に再発するでしょう。良い医者を傍において下さい」と言われて、実際に発病。これが死因となり、陳登は亡くなりました。
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陳登の死因の原因はともあれ
この寄生虫はアレルギー症状を引き起こすアニサキスであるのではないかと言われており、そう考えると陳登がアナフィラキシーショックで亡くなったのではないか、と想像もできます。ともあれ凄いのはこれを「三年後に再発する」と読んだ華陀先生。
当時はアナフィラキシーなど判明していませんが、もしかしたら華陀先生のような名医であれば「再び生魚を食すと発病の危険がある」と睨んでいたのかもしれません。
つまり「長生きしたいならこれ食べるの止めなさい!」というお医者様の一言があった可能性もあります。そういう意味での「良い医者を傍に」=「見張ってくれる人を傍に」だったのかもしれません。
しかし陳登は懲りずに生魚を食べて再発……そう考えると、やはりお医者さんの言うことは聞かないといけないということでしょうかね。信頼できるお医者さんがするなということは絶対にするな、そういうことだったのかもしれません。
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三国志ライター センのひとりごと
最後にちょっと余談を。陳登は39歳で亡くなりましたが、実は生年、没年共にはっきりしていないのです。ただ孫策と戦った、華陀先生の診察を受けた、つまり孫策より長生き、華陀先生が生きている間に会ったことがあると分かります。
孫策が200年没、華陀先生が208年没、ついでに曹操が孫権・劉備たちにめっちゃやられたと思われる赤壁の戦いが208年でこの頃には既に陳登は不明なので、おそらく208年前後には亡くなっていたのではないでしょうか?
ともあれ皆さん、お医者さんの言うことは聞きましょうね!
ざぶーん!
参考:魏書呂布伝 方技伝 呉書孫破虜討逆伝
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