諸葛誕の乱
さて諸葛誕の起こした反乱ですが、名目上は「司馬昭の専横に対抗する」ということになっています。ただし前述してきたように、諸葛誕はそもそも自らもいずれ廃されるのではという疑心から反乱を起こした、とされます。
順当に考えれば、専横への対抗はただの名目でしかないでしょう。しかし、本当に?本当に司馬氏の専横への対抗だったのではないか、という道を考えるのが今回のテーマです。
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専横への対抗
ここに至るまで、というか曹爽が失敗した時点で、魏の実権は殆ど司馬氏によって握られているのは間違いありません。ただ諸葛誕の立場は夏侯玄とは違います。
夏侯玄は魏の、宗室の関係者ですが、諸葛誕はそうではありません。ぶっちゃけるとトップが誰であれ、それに尽くして働いていれば良いのです。ではどうして今更諸葛誕が動いたか。それは彼もまた、諸葛一族であったから、とは考えられないでしょうか。
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諸葛の血
分かりやすい例としては、諸葛亮です。劉備に、蜀に尽くした諸葛亮。己の生命を賭けて戦い尽くし、そしてそれが叶うことなく、しかしその忠義は後の世まで残る。果たして、魏の諸葛は。魏の皇室が侵されていく中で、果たして何もしないままなのか。そう思い直して、立ち上がったのではないか。
国は違えても主君のために尽くした従兄弟たちに、何かを感じていたのではないか。だからこそ最期まで降伏することなく、戦ったのではないか。そうしてその姿は後に、功狗として例えられたのではないか。ふとそんな、名を残す道を選んだ諸葛誕を想像して見たのですが、どうでしょうかかね。
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三国志ライター センのひとりごと
後に息子の諸葛セイが生き残ったことを考えると、諸葛誕は降伏すれば生き残る道があったのではないか、とも思います。だけど諸葛誕はその道を選びませんでした。しかし彼の血筋は、その後も残りました。
個人的にはただ忠義だけ、ではなく。忠義も、血筋も両方を残す生き方を諸葛誕はしたのではないか、と想像してみた、筆者でした。
ちゃぷり。
参考文献:魏書諸葛誕伝
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