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もし街亭の戦いで馬謖が斬られていなかったらその後の蜀はどうなっていたの?

2022年11月4日


 

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北伐する孔明

 

 

西暦でいう228年、諸葛亮孔明による有名な「北伐(ほくばつ)」が開始されます。

 

エリートのおごりを露呈した馬謖

 

この第一次北伐に際して、蜀軍の先鋒という重大な役目を与えられたのが、馬謖(ばしょく)という人物。

 

敵に囲まれる馬謖

 

ところが、この先鋒である馬謖の軍が、街亭(がいてい)という土地で致命的な用兵ミスを犯し、早々に壊滅してしまうという事態が発生します。これを受けて蜀軍は撤退やむなしという判断に追い込まれ、第一次北伐は失敗しました。

 

馬謖を斬り悲しむ孔明

 

ここで故事として有名な「泣いて馬謖を斬る」のエピソードが生まれます。この重大な責任をとらせるため、諸葛亮(しょかつりょう)は馬謖を処刑したのです。しかしこの判断は、いまだに三国志ファンの間でも議論を呼びます。

 

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

もともと魏に対して劣勢だった蜀において、武将たちの人材と忠誠心は何よりも貴重だったはず。ここで馬謖を処刑せずに生かしておけば、その後の蜀の人材難や衰退は、なかったのではないか、と。

 

馬謖

 

それでは、ひとつのイフ考察として、「馬謖をもし斬らなかったら、その後の歴史はどうなっていたか」を、今回は考えてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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泣いて斬った側の諸葛亮の言い分は「綱紀粛正」

水路を断たれ残念がる馬謖

 

そもそも諸葛亮が「なぜ史実では馬謖を斬ったのか」の整理から始めたいと思います。

 

正史三国志_書類

 

ところが実はこの事件の経緯、史実に近いとされている『正史三国志』でも、いまいち前後関係が明確ではありません。

 

三国志演義_書類

 

ただ通説として伝えられているところで、かつ『三国志演義』にも継承されている背景としては、「事前の諸葛亮の作戦指示を守らず、かつ、実際に大量の兵を死なせた馬謖に対して、厳しい処断をしなければ蜀の軍紀に示しがつかない」という諸葛亮の判断があってのこと、とされています。

 

泣いて馬謖を斬る諸葛亮

 

これは現代の基準から見ても、厳罰を与えた理由としては納得しやすいものかと思います。現代の軍事でも、命令違反は重罪です。

 

鄧禹と兵士

 

しかもその命令違反によってたくさんの死者が味方に出たとなれば、「責任者を厳正に処罰せよ」という声が高まるのは必至でしょう。

 

馬謖の失敗に嘆く孔明

 

諸葛亮は、国内からの不満が出てくる前に、最高責任者として素早く馬謖を処刑することで、北伐失敗による混乱を最小限で抑え、かつ「命令違反は許さない」の示しをつけようと考えたのでしょう。

 

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

いわゆる、「綱紀粛正のため」というものです。ですが、ここでひとつ、あえて諸葛亮の判断にツッコミを入れることが可能です。

 

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かつてのライバル曹操だったらどう判断していたか!

曹操に重宝される賈ク

 

そう、三国志の時代は古代中国。同時代の英雄たちの中には、現代的な合理性では必ずしも測りきれない倫理観を持った、よくもわるくも強烈な個性が多々息づいていました。

 

曹操

 

「普通の考えからでは、ここは〇〇と処罰すべきである。だが俺はこうする!」というタイプのリーダーが多々いたのです。そもそも、諸葛亮のかつてのライバル、曹操(そうそう)がその代表格でした。

 

曹操が手元に置いておきたかった韓浩

 

曹操の言動を見ていると、

 

袁術と曹操と黄巾賊

 

・大敗北をして処刑覚悟で帰国した武将に対し、「戦いは時の運である、仕方あるまい」とふいに許すことがある

 

処刑を下す曹操

 

 

・そのいっぽうで、自軍に有利な寝返りをしてきた筈の功労者を「どうも信頼できない」と、とつぜん処刑することもある

 

曹操と鶏肋

 

・「鶏肋鶏肋」とひとりごとを呟いていた自分の言葉を拡大解釈した有能な部下を怒りにまかせ処刑している

 

魏王に就任する曹操

 

などなど、ルールや整合性よりも、本人の直感で「許す」「許さない」を振り分けているところがありました。

 

 

君主論01 マカベリ、曹操、kawausoさん

 

これはまさに、中世イタリアのマキャベリ『君主論』に書かれていたような、「部下に恐れられるようなリーダーこそが乱世には向いている」という考え方そのものでしょう。

 

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諸葛亮がマキャベリズムに振り切れる覚悟があれば馬謖は生きていた?

北方謙三 ハードボイルドな孔明

 

諸葛亮も、このようなアクの強いリーダー達がしのぎを削る時代に生きていました。原則どおりに「綱紀粛正のための厳罰」という一本筋でなくても、よかったのではないか、とも思えるのです。

 

藤甲兵に地雷火を仕掛けた諸葛亮孔明

 

つまり、諸葛亮が馬謖を生かし続け、かつ人材として使い続ける手もあったと思います。かつてのライバル、曹操の真似をするのです。

 

孔明 悲しい表情

 

大敗を喫してうなだれている馬謖に対し「蜀の人材が枯渇していることを考えると、お前は許す。そのかわり、死んだものと思って、第二次北伐では鬼神の如く働き、今回の恥を取り返す戦果をあげろ。そうしなければ次こそは殺す」と、諸将の前で厳しく詰め、命はとらない、というパターンです。

 

馬謖に魏打倒を叩き込む諸葛亮孔明

 

これをやれば、馬謖は命を助けられたことに感謝した上に、次こそは戦果を出そうと奮起することでしょう。それでは命令順守の厳しさが保てない?

 

呉の諸将を論破する諸葛亮孔明(セリフなし)

 

そこについても曹操の真似をして、馬謖ではない別の、あまり有能ではない将軍を、突然つまらない理由で諸葛亮自ら手討ちにするのがよいでしょう。

 

挑発する諸葛亮孔明

 

「馬謖を赦したのに、他の者は殺した。丞相の考えは伺いしれない!」と諸将は大きくうろたえ、馬謖云々ではなく、諸葛亮の独裁に対する恐怖で蜀軍の秩序は保たれることでしょう。

 

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まとめ:これをやると蜀のブランドは変わるが強国になったかも?

車に乗る諸葛亮(孔明)

 

このシナリオで蜀を支配するのは、「馬謖を斬らずに使い続けよう。そのかわり、俺は部下たちに恐れられる鬼となろう」と腹をくくった、マキャベリストとしての諸葛亮です。

 

孔明インタビュー

 

これは劉備玄徳という先帝の名声が積み上げてきたブランドからは劇的な変化でしょう。

 

孔明に嫌われている魏延

 

命を助けられた馬謖や、武闘派の魏延あたりは、諸葛亮のこのような「奸雄」化にもついていくかもしれませんが、成都の官僚たちと諸葛亮との間には緊張関係が生じるかもしれません。

 

病気がちな孔明

 

ただし、史実でもけっきょく諸葛亮は北伐に失敗し、蜀の衰退を防げなかったわけです。

 

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三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

ここはいっそ、諸葛亮による独裁的な軍事国家への道を突き進んだほうが、強国にはなれたのではないか。などと思ってしまいます。

 

ポイント解説をするYASHIRO様

 

曹操の生き様が乗り移ったかのような独裁者諸葛亮。その子飼いの愛弟子として鬼神のように暴れる馬謖。

 

孔明を持ち上げる魏延

 

そんな二人が支配する蜀は、本来の三国志の蜀イメージとあまりにかけ離れますが、どうせ魏に史実でも魏に最期は負けたのですから、いっそのこと、この極端な「恐怖政治国家蜀」パターンのシナリオも見てみたかった、ような気もします。

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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