三国志には色々な単語が出てきます。現代では馴染みがあるものもあれば、どんな単語か分からない単語というものもありますね。そんな単語をどんな意味か解説していこうというのが(筆者が独断で決めた)この場のコンセプト。
今回は「食客」について、です!
食客とは?
食客とは「しょっかく」と読みます。読んで字のごとく、食を必要とする客であり、主に権力者たちに養われる立場の人物です。
この食客の風習が始まったのは春秋戦国時代からと言われており、三国時代よりもだいぶ前からある風習と言えるものでした。彼らはただ養われているだけの立場という訳ではなく、養い主の危機には手助けをするなど、win-winの関係であったと言います。
侠客と食客
さて当時には「侠客」と呼ばれる者たちが多くいました。
これは史記にも乗っており、その生き様として「弱きを助け、強きをくじく」「曲がったことは例えお上の命令でも拒否する」「赤貧に努め、出世欲のための売名行為をしない」など、古くから言う「任侠」に通じる生き方をしていた者たちです。
そんな彼らを権力者たちは食客として養っていたのですね。
食客の美徳
そんな食客ですが、ある種人々の憧れの立場であったとも思われます。分かりやすい例で言うと三国志演義。劉備、関羽、張飛が出会い「生まれた日こそ違えども、死ぬる日は同じに」と願うほどにお互いを思いやる関係……
つまり「仁」と「義」に通じた人物たちであり、相手が無名の頃から共に行動し、苦楽を共にしていたのです。侠客には、食客にはそういった彼らの美徳があり、それに人々は憧れていたのでしょう。
三国志の食客
因みに三国志演義、そして三国志にも食客は出てきます。
それは孫策の死のきっかけ。孫策はある時に許貢を殺害しますが、この仇を討とうと考えたのが三人の食客です。
狩りに出た孫策を討ち取ろうと襲い掛かるも食客たちは逆に殺されてしまいますが、孫策はこの時の傷が悪化して死亡したとも言われています。主は既になく、相手は今勢いを増している小覇王。それでも食客たちは恩義を返そうとした所に、仁と義が感じられますね。
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有名な3000人もの食客を抱えた孟嘗君
また、春秋戦国時代には有名な3000人もの食客がいました。彼らは斉の孟嘗君に養われており、それぞれ一芸に秀でていたものの「盗み」「鳥の鳴き真似」など、一見すると権力者の役には立ちそうにはない特技だったそうです。
しかし主が敵に捕らわれた時、その特技でもって主を救出しました。因みにこれは「鶏鳴狗盗」の故事成語の元となったお話です。
彼らの求めたもの
さて前述した孟嘗君、ある日その人望を妬まれて宰相の座から降ろされてしまいます。この時に3000人の食客たちは次々に彼の元を去っていき、たった一人残った食客と再び苦労して同じ座まで上り詰めました。
この際に残った一人の食客馮驩は「去っていった者たちを呼び戻して下さい。彼らは貴方様に愛想を尽かしたのではありません。貴方の元では自分は活かされない、と思ったから去っていったのです」と言い、再び孟嘗君は3000人の食客を抱えることになりました。
これを見ると、食客たちは仁と義、そして己の力の活かし場所を求めていたように思えます。前述したように食客は赤貧に努め、出世欲のための売名行為はしない。
しかし名を挙げたい、歴史に名を残したい、誰かの役に立つ存在でありたい……そういう思いも見えてきました。全てが全て同じという訳ではありません、でも嘗て何人もの食客たちがどこかで気に入られ、どこかで役立ってきた……例え名前が残っていなくとも……それもまた、歴史の陰というロマンなのかもしれません。
食客を抱えるのメリット
最後に、食客のメリット、食客を養うことのメリットをお話したいと思います。一つは何かの時に役立ってくれること、これが食客の分かりやすいメリットです。しかし食客にはもう一つのメリットがありました。
それは、自分が「食客を養える」ということです。言っては何ですが赤の他人を受け入れて養う、お金がかかりますね。それは人数が増えるほどに大きくなります。しかしその「普段は役立っていない食客を養っている」ということは、それだけ権力があり、力の象徴とも言えるのです。
そういう自分の「力」の証明として、ある程度の権力者たちは寧ろ積極的に食客を迎え入れたそうです。
三国志ライター センのひとりごと
食客自体は三国時代よりも昔の話です。しかしその食客の精神、在り方は後の世にも深く影響しています。もしかしたら彼らの生き様があったからこそ、群雄割拠の時代がきたのかもしれません。
形ではないけれど受け継がれてきた精神が三国時代を作った……そう思うとますます三国志の沼にハマってしまいますね……ちゃぷん。
参考文献:史記 孟嘗君列伝
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