食客とは何?才能のある人物を客として遇して養うメリットとは?




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

はじ三倶楽部 スマホの誤変換でイライラする参加者(はてな)

 

三国志には色々な単語が出てきます。現代では馴染みがあるものもあれば、どんな単語か分からない単語というものもありますね。そんな単語をどんな意味か解説していこうというのが(筆者が独断で決めた)この場のコンセプト。

 

今回は「食客」について、です!




食客とは?

劉備 食客

 

食客とは「しょっかく」と読みます。読んで字のごとく、食を必要とする客であり、主に権力者たちに養われる立場の人物です。

 

劉備 危機一髪

 

この食客の風習が始まったのは春秋戦国時代からと言われており、三国時代よりもだいぶ前からある風習と言えるものでした。彼らはただ養われているだけの立場という訳ではなく、養い主の危機には手助けをするなど、win-winの関係であったと言います。




侠客と食客

太行山に入り山賊になる劉備三兄弟

 

さて当時には「侠客(きょうかく)」と呼ばれる者たちが多くいました。

 

これは史記にも乗っており、その生き様として「弱きを助け、強きをくじく」「曲がったことは例えお上の命令でも拒否する」「赤貧に努め、出世欲のための売名行為をしない」など、古くから言う「任侠」に通じる生き方をしていた者たちです。

 

そんな彼らを権力者たちは食客として養っていたのですね。

 

食客の美徳

桃園の誓いをする劉備、張飛、関羽

 

そんな食客ですが、ある種人々の憧れの立場であったとも思われます。分かりやすい例で言うと三国志演義。劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)が出会い「生まれた日こそ違えども、死ぬる日は同じに」と願うほどにお互いを思いやる関係……

 

張飛、劉備、関羽の桃園三兄弟

 

つまり「仁」と「義」に通じた人物たちであり、相手が無名の頃から共に行動し、苦楽を共にしていたのです。侠客には、食客にはそういった彼らの美徳があり、それに人々は憧れていたのでしょう。

 

三国志の食客

三国志演義_書類

 

因みに三国志演義、そして三国志にも食客は出てきます。

 

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

それは孫策(そんさく)の死のきっかけ。孫策はある時に許貢(きょこう)を殺害しますが、この仇を討とうと考えたのが三人の食客です。

 

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

狩りに出た孫策を討ち取ろうと襲い掛かるも食客たちは逆に殺されてしまいますが、孫策はこの時の傷が悪化して死亡したとも言われています。主は既になく、相手は今勢いを増している小覇王(しょうはおう)。それでも食客たちは恩義を返そうとした所に、仁と義が感じられますね。

 

関連記事:孫策が袁術のもとから離れたのは本当に皇帝になったのが原因なの?

関連記事:孫策と陸家との深い関係とは?陸家と孫家はその後どうなったの?

 

有名な3000人もの食客を抱えた孟嘗君

孟嘗君

 

また、春秋戦国時代には有名な3000人もの食客がいました。彼らは斉の孟嘗君(もうしょうくん)に養われており、それぞれ一芸に秀でていたものの「盗み」「鳥の鳴き真似」など、一見すると権力者の役には立ちそうにはない特技だったそうです。

 

しかし主が敵に捕らわれた時、その特技でもって主を救出しました。因みにこれは「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の故事成語の元となったお話です。

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代

 

【次のページに続きます】




次のページへ >

1

2>

関連記事

  1. 曹操と劉備
  2. ホウ徳(龐徳)
  3. 北伐する孔明
  4. 劉璋にアドバイスをする張松
  5. 破竹の勢いで呉を攻める杜預
  6. 北伐したくてたまらない姜維

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“二宮の変

“三国志データベース"

“三国志人物事典

“はじめての三国志公式LINEアカウント"




PAGE TOP