食客とは何?才能のある人物を客として遇して養うメリットとは?

2021年3月31日


 

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はじ三倶楽部 スマホの誤変換でイライラする参加者(はてな)

 

三国志には色々な単語が出てきます。現代では馴染みがあるものもあれば、どんな単語か分からない単語というものもありますね。そんな単語をどんな意味か解説していこうというのが(筆者が独断で決めた)この場のコンセプト。

 

今回は「食客」について、です!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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食客とは?

劉備 食客

 

食客とは「しょっかく」と読みます。読んで字のごとく、食を必要とする客であり、主に権力者たちに養われる立場の人物です。

 

劉備 危機一髪

 

この食客の風習が始まったのは春秋戦国時代からと言われており、三国時代よりもだいぶ前からある風習と言えるものでした。彼らはただ養われているだけの立場という訳ではなく、養い主の危機には手助けをするなど、win-winの関係であったと言います。

 

侠客と食客

太行山に入り山賊になる劉備三兄弟

 

さて当時には「侠客(きょうかく)」と呼ばれる者たちが多くいました。

 

これは史記にも乗っており、その生き様として「弱きを助け、強きをくじく」「曲がったことは例えお上の命令でも拒否する」「赤貧に努め、出世欲のための売名行為をしない」など、古くから言う「任侠(にんきょう
)
」に通じる生き方をしていた者たちです。

 

そんな彼らを権力者たちは食客として養っていたのですね。

 

食客の美徳

桃園の誓いをする劉備、張飛、関羽

 

そんな食客ですが、ある種人々の憧れの立場であったとも思われます。分かりやすい例で言うと三国志演義劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)が出会い「生まれた日こそ違えども、死ぬる日は同じに」と願うほどにお互いを思いやる関係……

 

張飛、劉備、関羽の桃園三兄弟

 

つまり「仁」と「義」に通じた人物たちであり、相手が無名の頃から共に行動し、苦楽を共にしていたのです。侠客には、食客にはそういった彼らの美徳があり、それに人々は憧れていたのでしょう。

 

三国志の食客

三国志演義_書類

 

因みに三国志演義、そして三国志にも食客は出てきます。

 

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

それは孫策(そんさく)の死のきっかけ。孫策はある時に許貢(きょこう)を殺害しますが、この仇を討とうと考えたのが三人の食客です。

 

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

狩りに出た孫策を討ち取ろうと襲い掛かるも食客たちは逆に殺されてしまいますが、孫策はこの時の傷が悪化して死亡したとも言われています。主は既になく、相手は今勢いを増している小覇(しょうはおう)。それでも食客たちは恩義を返そうとした所に、仁と義が感じられますね。

 

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有名な3000人もの食客を抱えた孟嘗君

孟嘗君

 

また、春秋戦国時代には有名な3000人もの食客がいました。彼らは斉の孟嘗君(もうしょうくん)に養われており、それぞれ一芸に秀でていたものの「盗み」「鳥の鳴き真似」など、一見すると権力者の役には立ちそうにはない特技だったそうです。

 

しかし主が敵に捕らわれた時、その特技でもって主を救出しました。因みにこれは「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の故事成語の元となったお話です。

 

 

 

彼らの求めたもの

朝まで三国志201 観客2 モブでブーイング

 

さて前述した孟嘗君、ある日その人望を妬まれて宰相の座から降ろされてしまいます。この時に3000人の食客たちは次々に彼の元を去っていき、たった一人残った食客と再び苦労して同じ座まで上り詰めました。

 

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

この際に残った一人の食客馮驩(ふうかん)は「去っていった者たちを呼び戻して下さい。彼らは貴方様に愛想を尽かしたのではありません。貴方の元では自分は活かされない、と思ったから去っていったのです」と言い、再び孟嘗君は3000人の食客を抱えることになりました。

 

これを見ると、食客たちは仁と義、そして己の力の活かし場所を求めていたように思えます。前述したように食客は赤貧(せきひん)に努め、出世欲のための売名行為はしない。

 

しかし名を挙げたい、歴史に名を残したい、誰かの役に立つ存在でありたい……そういう思いも見えてきました。全てが全て同じという訳ではありません、でも嘗て何人もの食客たちがどこかで気に入られ、どこかで役立ってきた……例え名前が残っていなくとも……それもまた、歴史の陰というロマンなのかもしれません。

 

食客を抱えるのメリット

ポイント解説をするセン様

 

最後に、食客のメリット、食客を養うことのメリットをお話したいと思います。一つは何かの時に役立ってくれること、これが食客の分かりやすいメリットです。しかし食客にはもう一つのメリットがありました。

 

部下の兵士に褒美(お金)を分け与える曹真

 

それは、自分が「食客を養える」ということです。言っては何ですが赤の他人を受け入れて養う、お金がかかりますね。それは人数が増えるほどに大きくなります。しかしその「普段は役立っていない食客を養っている」ということは、それだけ権力があり、力の象徴とも言えるのです。

 

そういう自分の「力」の証明として、ある程度の権力者たちは寧ろ積極的に食客を迎え入れたそうです。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

食客自体は三国時代よりも昔の話です。しかしその食客の精神、在り方は後の世にも深く影響しています。もしかしたら彼らの生き様があったからこそ、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代がきたのかもしれません。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

形ではないけれど受け継がれてきた精神が三国時代を作った……そう思うとますます三国志の沼にハマってしまいますね……ちゃぷん。

 

参考文献:史記 孟嘗君列伝

 

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三国志ライフ

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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