『三国志演義』、およびそれを脚色した日本の小説や漫画では、徐庶といえば以下のようなイメージで扱われています。
諸葛亮や龐統には劣るものの、十分に強力な軍師。赤壁の戦いで龐統の策を見破ったあたりを見ると、ひょっとしたらこの時代のナンバースリーくらいの賢者かもしれない。
母親を人質にとられた為に泣く泣く曹操の部下になるかわいそうな人。だが劉備にたいする義理から、「曹操の為には働かない」と誓い、その才能を封印した人。
そのまま劉備に仕えていたら、どれだけ活躍していたのか、と読者の空想を刺激する人物。もし曹操軍で才能を封印していなかったら、どれほど恐ろしい敵になっていたか、とも、読者の空想を刺激する人物。
ところが、これらの半分以上が、正式な歴史書である「正史三国志」のほうには記載がなく、どうやらその後の時代に、そして『三国志演義』の作者に、付け加えられた虚構であるらしいとなったら、いかがでしょう?
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史実の徐庶はずいぶん目立たないし、別に義理固いわけでもない
ざっと整理してみると、以下のようになります。
諸葛亮のことを劉備に推薦したことは確からしい。でも推薦しただけ。
母親を人質にとられたから曹操の部下になったのも確からしい。だがこれも「泣く泣く曹操についた」のではなく、「しかたなく投降して転職した」くらいのあっさりした話。だいいち、劉備に正式に仕えていた人なのか、単に出入りしていた名士の立場だけだったのかも不明。
戦闘場面で活躍した様子はない。少なくとも、華々しい戦績は伝わっていない。よって軍師として有能であったかどうかは不明。
そもそも軍師系の人材なのか、戦士系の人材なのかも、厳密には不明。当然、「赤壁で龐統の策を見破った」みたいなエピソードもない。「徐庶はナンバースリー格の名軍師」は、物語を面白くするために後世に加えられた創作である。
日本では徐庶の人気はかなり高いと思うのですが、その理由は彼の義理固さが、日本人好みだから、だと思います。情誼に厚い男が、やむを得ず親愛なる主人を裏切らなければいけなくなるから、別れの場面が、感動的なのです。
ところが正史の徐庶には、そんな記述がないのは、ファンにはかなり残念なところではないでしょうか。もっとも、正史を見る限り、別に義理固い行動をとったと伝えられていない、というだけで、正確には「義理固いか義理固くないかもわからないほど、活躍が少ない」というところでしょうか。
でも正史の徐庶のほうが、なんだか幸せそうに見えるような・・・
しかし、大人の目には、別な側面も見えてきます。
格好良くて、人気者なのは、『三国志演義』の徐庶。特に格好良くもなく、普通に見えるのが、正史の徐庶。でも現実問題として、幸せそうに見えるのは、どちらの徐庶でしょうか?
演義の徐庶は、「才能を封印した」「諸葛亮や龐統が活躍しているのをウワサで聞きながら、本人は何もできない立場にいた」「それだけ苦労をして助け出した肝心の母親は、自殺した」(!)ということで、あんまり、うらやましい人生を送っているとは言えない。
いっぽう、正史の徐庶については、こんなエピソードが入っています。
諸葛亮と徐庶には、互いにもともと面識があったことは正史にも書かれているのですが、諸葛亮が「徐庶は地方の郡太守くらいにならなれる人材だろう」と言っていた、という記述です。
これは諸葛亮としては、たぶん、バカにしているわけではないとは、思います。徐庶が庶民の出であることから考えると、「なかなか出世する立派な人だ」と言っているのだ、と推測しています。
そうは言っても、諸葛亮自身は、ぜったい「自分は歴史に名を残す大人物だ」という自負はあるわけだから、バカにしているわけではなくとも、あんまり気持ちのいい言い方ではない。
それに対する徐庶の反応は、特に書いていないのですが、正史の徐庶は、曹操の魏に仕えて、最後にはかなりの高官職にまでのぼり詰めたらしい。
庶民階級の出の人間が、何もしないで高官に出世することはないと思うので、戦争で華々しく活躍はしていないものの、有能な官僚として、そうとうな努力をしたのではないでしょうか。
さらに没年の明記はないものの、どうやら諸葛亮と同じくらいの年齢まで生きたらしい、ということで、派手ではないにせよ、順当な人生を送ったとは、言えるのではないでしょうか。少年時代に三国志を読んだ時には、思わなかったことですが、自分が大人になってから読み返すと、どうしても、思うこと。
戦乱の時代に、安泰な出世街道を歩んで、無事に天寿をまっとうするって、それはそれで大変な成功じゃないでしょうか?
だいいち、蜀に仕えてがんばった人たちの最期を見てみると、関羽は処刑され、張飛は部下に殺され、
孔明も過労死(たぶん)したというハードさです。いっぽう、魏に転職した徐庶は、そこで順調に評価されて、高官出世コースで終えた。それはそれでいい人生だ、と思ってしまうのですが、いかがでしょうか?
ちょっとこれは、三国志の評価としては、サラリーマン目線すぎるかもしれませんが。
でも、大事な点があります。正史を見る限り、特に、母親が自殺したわけではないらしい。徐庶といえば「母親を助けるつもりで、自殺に追い込んでしまった悲劇の人」と思っている人には、こここそ一番重要な、史実と虚構の比較ポイントかもしれません。
だいたい劉備にかかわった人に幸せそうな最期の人がいないことをかんがみれば、なおさら、実際の徐庶は、親孝行をしながら、老年まで安泰な生活をしていた官僚だったのではないかと、想像したくなるものです。
三国志ライター YASHIROの独り言
自分のことは別として、誰かから就職転職の相談を受けたなら、劉備軍でも孫権軍でもなく、曹操軍を勧めるのが結局、安泰なのかもしれない。
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