「わが子房(前漢の劉邦を助けた天才軍師・張良の字)」と曹操から評価された荀彧。
荀彧は政治・軍事などに優れた能力を持ち、張良に匹敵する働きを行いました。そんな荀彧は官渡の戦いの勝敗を決する一枚の手紙を曹操へ送っていたのです。今回は官渡の戦いの勝敗を決した一枚の手紙を紹介したいと思います。
苦戦する曹操
曹操は徐州の呂布を討伐し、息子・曹昂を殺害した張繍の勢力を取り込むことに成功。
その後曹操は河北の覇者・袁紹と対決することになります。
曹操は袁紹軍との初戦において勝利で飾りますが、兵力に圧倒的な差が開いている袁紹軍と野戦で戦う事をしないで、官渡に築いた砦へ籠って戦いを継続。曹操は袁紹軍の連日の激しい攻撃を受けても、必死に耐えて籠城を続けていましたが、重大な問題が発生。
それは曹操軍の兵糧が少ししか残っていなかった事です。そのため曹操は官渡から退いて、皇帝がいる許へ撤退しようと考え、荀彧へ手紙で相談することに。
荀彧の応援レター
荀彧は曹操から手紙をもらうと曹操を励ますため、手紙を書いて曹操へ送ります。荀彧は「今袁紹は全軍を率いて官渡へ攻撃をしてきています。ここは天下分け目の一大決戦と言うべき時で、退くべきではありません。
また袁紹は人を集めることはできますが、集まってきた人の能力を見極めて適材適所へ用いることができない人物です。しかしあなたは人を集めて適材適所へ配置して用いることのできる才能を持ち、勇武においては袁紹よりもはるかに優れた能力を持っています。
それに加えて皇帝陛下を奉戴している正義を掲げているのです。どうして袁紹ごときにあなたが敗れることなって絶対にありえません。だからあなたは官渡から退くべきではありません。」と曹操へ激励とアドバイスを書いた手紙を送ります。
荀彧の手紙が官渡の戦いの勝敗を分けた!?
曹操は荀彧から激励とアドバイスが書かれた手紙を見て、官渡から退く考えを捨てて、官渡の地で袁紹軍を打ち破る決意を新たにします。曹操はその後、荀攸の作戦に従って、袁紹軍の輸送部隊を襲撃して袁紹軍の兵糧を焼き討ちし、兵糧を削っていく作戦を継続的に行っていきます。
こうして曹操は何か月も袁紹と戦いを行い、ついに勝機を見出します。それは袁紹から寝返った許攸が袁紹軍の兵糧庫のありかを教示した事です。曹操は賈詡と荀攸が許攸のアドバイスを支持した事で、許攸のアドバイスを採用し、袁紹軍の兵糧庫を襲撃。
袁紹軍は兵糧庫の兵糧が曹操軍の攻撃によって、兵糧が無くなった事と張郃・高覧が曹操軍へ降伏してきたことがきっかけで、袁紹軍が総崩れになってしまいます。袁紹は彼の息子達と一緒に本拠地へ逃亡。
こうして官渡の戦いは曹操軍の勝利で終わることになります。官渡の戦いで曹操が勝つことのできた要因は色々な要素がありますが、今回ここで紹介した荀彧の応援レターも曹操が袁紹に勝つことが出来た要因の一つと挙げる事が出来ると思いますが、皆様はどのように思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
曹操は荀彧を「わが子房」と言って喜んでいましたが、荀彧と張良って似ている所があるのでしょうか。ここで張良をちょこっと紹介してみたいと思います。
張良は前漢の高祖・劉邦を支えた人物で、戦術や智謀、政略において優れた能力を発揮した人物です。そして張良は荀彧と同じく劉邦の精神面も支え、劉邦に天下を取らせることに成功しています。
曹操が荀彧が仕えた時「わが子房が来た」と高い評価を下していました。そして張良の実績をちょこっと紹介しましたが、劉邦を支えた張良と曹操を支えた荀彧の実績を比較してみましたが、あながち間違っていないといえるでしょう。
■参考 正史三国志魏書など
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