優れた戦術家で魏の名将・張郃。張郃は袁紹の元から寝返った時、曹操から「項羽の元から劉邦の元へ降伏してきた韓信が我れの元に来たようなものだ」とベタ褒めしていました。さてベタ褒めされた張郃は曹操の元でいくつもの戦に従軍し、功績を残し、諸葛孔明が初めて北伐戦を開始した頃には、魏軍の中で一番の戦巧者として知られていました。
孔明は初めての北伐戦でお気に入りの馬謖を起用し、街亭を守らせる任務を与えます。もし張郃が街亭へ出陣していなければ、馬謖が街亭の戦いに負けずに済んだかもしれません。
この記事の目次
街亭の戦いをざっくり概要紹介
さて張郃が蜀の馬謖をボコボコにした街亭の戦いですが、皆さん知っていますか。もしかしたら知らない人もいるかも知れないので、チョットおさらいしてみましょう。諸葛孔明は魏の涼州を奪い、同盟国・呉と連動して魏と長期戦を展開しようとの計画を立て、涼州へ向けて進軍を開始。
孔明は魏の南安・天水・安定が裏切った事を知るとこの地と益州を結ぶ要衝・街亭に着目します。もしこの街亭が魏に奪われると益州と蜀に寝返った南安などの土地を捨てなくてはならず、孔明が描いた魏との長期戦も失敗に終わります。そのため街亭を守るのは蜀の将軍の中でも歴戦の将軍・魏延らを用いるべしだとの声が蜀軍諸将の中でも多く言われていました。
しかし孔明はお気に入りの馬謖に街亭を守るように任務を与えます。孔明は馬謖へ「街亭の砦に入って守りなさい。山には登っちゃダメよ」と強く注意します。馬謖は「了解っす」と言って街亭へ向かいますが、孔明の命令を無視して山に上ってしまいます。
張郃は軽々と馬謖を撃破
魏は孔明の北伐軍を防ぐため名将・張郃を出陣させます。張郃は馬謖が山に上っていることを一旦怪しみますが、罠などがないことを知ると直ぐに蜀軍が補給する付近の水場を奪い、馬謖が登っている山を包囲し、蜀軍の士気低下を待ちます。
馬謖は水が補給できずに蜀軍の兵士達の士気が無くなってやる気がなくなるのを感じ取ります。張郃は蜀軍の士気が低下している事を感じ取り、蜀軍へ総攻撃を開始。蜀軍は魏軍の攻撃を受けてもろくも崩れさり、馬謖も孔明の本陣へ撤退していくのでした。街亭の戦いの概要と結果を紹介しました。馬謖は孔明の言いつけを守らずに自分勝手な行動をしたせいで、敗北してしまいましたが、もし張郃が馬謖の対戦相手じゃなければどうなっていたのでしょう。
張郃じゃなければ馬謖が街亭を守りきることもできたかも【レンの妄想タイム】
もし馬謖の対戦相手が張郃でなかったらどうなっていたのでしょう。馬謖は孔明の言いつけを守らずに山に篭っているのを条件にレンさんが妄想してみました。張郃の代わりに魏軍を率いるのは曹真だとしましょう。そして張郃は後方で待機している形を取りたいと思います。
曹真vs馬謖だったらどうなっていたのか??
曹真も張郃と同じように馬謖が山に上っていることを怪しみ、少しの間街亭付近にとどまっていることでしょう。しかし曹真もそれなりに優秀ですが、張郃クラスの武将ではないため数十日くらいは街亭に陣を敷いてとどまるはずです。曹真と馬謖がにらめっこしている間に馬謖の山登りに変化が起きると思われます。
王平の伝令効果
馬謖の部下・王平は馬謖へ「丞相の言うことを聞いたほうがいいのでは」と何度も注意をします。しかし馬謖は王平の言うことを無視。そのため王平は孔明へ伝令を出します。伝令の内容は「馬謖さんが山に上っているからなんとかしてくれ」と孔明へチクリます。孔明は街亭の数キロ付近に駐屯していたため伝令を数時間後には受け取る事に成功。
孔明は王平の伝令を受け取ると直ぐに歴戦の将軍・魏延に軽兵を率いらせ街亭へ向かわせると思います。魏延は街亭に到着すると曹真の軍勢を攻撃。馬謖は魏延と連動して山から魏軍を攻撃し、曹真を打ち破ったはずだと思われます。レンの妄想だと張郃でなければ、多分馬謖が勝つ事が出来たかもしれないと考えて見ました。
三国志ライター黒田レンの独り言
史実では張郃の軍勢にフルボッコにされた馬謖ですが、孔明はどうして街亭から数キロ離れた所にいたのに馬謖を助けなかったのでしょうか。レンの予想ですが、孔明が対外的に戦を行ったのが初めてでどうすればいいのか分からなかったからではないのでしょうか。多分孔明へ魏延や他の歴戦の諸将は「馬謖を救うべきだ」と進言したはずだと思います。
しかし孔明は慎重だったのと初めての戦で援軍を率いて魏軍にボコられたらどうしようとの不安があって馬謖を救えなかったのではないのでしょうか。他にも孔明が馬謖に手柄を上げさせたいから援軍を派遣しなかった等の理由があると思いますが、みなさんは張郃にボコられている馬謖をどうして孔明が助けなかったと思いますか。
参考 【ちくま学芸文庫 正史三国志蜀書】等
▼こちらもどうぞ