九品官人法とは、魏の文帝・曹丕によってはじめられた官吏登用法です。 そして科挙とは、その官吏登用法・九品官人法が廃止された後に行われた登用法試験のことを言います。
ではこの九品官人法と科挙の違いとは何か?どうして九品官人法から科挙に移り変わったのか? 九品官人法、及び科挙の欠点とは何があるのか、これらを今回は噛み砕いてお話したいと思います。
この記事の目次
九品官人法とは?
九つのランク分けにあり! さて九品官人法とは、魏の初代皇帝・曹丕によって制定された、人材登用法です。 そもそも「郷挙里選」という人材登用法があり……これは地方の豪族が良い人材を推薦するという方式でしたが、これには賄賂が横行し、ろくな人材発掘ができなくなってきていました。 そこで代わりに考えられたのが九品官人法。 中央から中正な立場の官吏を地方に派遣し、その地方での人材を一から九の品、ランク分けで推薦する方式です。
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結局横行するのは「賄賂」である……
ですが九品官人法には欠点もありました。 それは郷挙里選同じく、賄賂が横行していたからです。 よくよく考えてみるとこの制度 「地方の豪族が推薦する」が「中央からやってきた役人がランク分けして推薦する」 というものであり、本質的な所では変化がなく、賄賂の贈り先が変わっただけとも言えるものでした。 このため九品官人法は「上品に寒門なく、下品に勢族なし」、つまり上の品には身分の低いものなし、下の品には身分の高い者はいない、とまで言われるようになってしまったのです。
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科挙とは?
実力が何よりも認められる時代の到来か さて科挙は隋の時代から、九品官人法に代わって用いられた人材登用……というよりも、試験です。 とても乱暴に説明すると、かなり難しくて年間に数人しか合格しない試験であり、この試験に合格すると官吏になることができます。 高い地位、権力を持つ家の持ち主でなくても合格できれば前途洋々、それが科挙でした。 やっと実力社会がやってきたか……と思いますが、実はちょっとこれまた難しく。
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つまりはやっぱりお家の力が超重要ってコト?
官吏になり、更に上……官になることは、権力を握る上でとても大事でした。 一族から一人科挙に合格すれば、その在位中、引退後は一族は安泰、とまでされたほどです。 このため一族で資金を出し合って一人でも多くの子供を科挙に受かるための塾を開いて勉強させるという方法も生まれました。 こうなると勉強のための環境をどれだけ整えるか、という各家での差が付きます。 やはり家そのものの力も科挙には重要であったと思われます。
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科挙最大の悪法蔓延る……それはカンニング
科挙は試験に受かればその前途が開かれます。 これは身分の高い家でも、低い家でも同じです。 だからこそ一族の総力を挙げて取り組む家もあったのですが……そこに、悪法も生まれてしまいます。 科挙に受かるために、多くの者たちがカンニングに手を染めたのです。 その手法は、カンニングペーパーのようなものを用意したり、下着にカンニング内容を書き込んでいたりと実に様々。 もちろんこれらは違法であり、バレたら処刑ものになることもありましたが、それでもカンニングをする者は後を絶たない状態でした。 受かりさえすれば人生が変わる、それだけの試験でもあったのですから、当然とも言えるかもしれません。
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九品官人法と科挙との違いとは何ぞや?
さてまとめますと、九品官人法と科挙の違い、それは推薦形式か、試験に合格するかの違いとなります。 一見すると科挙の方が実力社会の方式を取られているようにも思えますが、その一方で科挙ではカンニングが横行すると言う事実も存在し、その背景には「身分に関わらず、合格さえすれば」というほの暗い闇も存在したのです。 前時代の悪手を改善して新しい方法を取ろうとする、しかしまたどこかで、歪さも生まれてしまう。 それは歴代の王朝の悩みに似ていたかもしれませんね。
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実はあの人は……タイムスリップ!?
因みに三国志演義に出てくる有名なあの人も科挙にチャレンジした経歴がございます。 その人物とは……黄巾賊、イエローマスター・張角さん。 三国志演義に出てくる彼は、科挙に落ちたという経歴を持っています。
科挙に落ちて、その後は黄巾賊を率いて蒼天既に死すをやってしまうお人……というと、まるで科挙に落ちたから黄巾党を開いたようではないですか! ……まあ実際には張角の時代には科挙どころか九品官人法もないので、三国志演義の創作ですが。 それでも三国志演義の張角にこのような経歴が付けられたのは、科挙に落ちるということはそれほど当時としてもショックであり、同時に中々受かることのない、多くの人が落ちる試験、という認識があったのかもしれませんね。
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三国志ライター センのひとりごと
九品官人法も九品官人法で。 また科挙も科挙で。 それぞれ何かしらの欠点があるのもまた、面白い所。 何かを成し遂げるために、その前例から悪手を改善しようとして考える。 しかしそちらもそちらで欠点があって……というのを見ていると、漢、魏、晋……と移り変わる王朝を見ているようでもあります。 それほど難しい人材発掘法、ある意味、今を生きる人たちも抱えている問題なのかもしれませんね。 どぼーん。
参考:三国志演義
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