焼肉屋の名前にもなっている牛金。レンは一度この焼肉屋さんに行ったことがありますが、まあ美味しかったです。特に上タン塩の美味さは抜群でした。
話がずれましたが、牛金は三国志で曹仁の武将として活躍した人ですが、「はじめての三国志」の読者で彼の名前を知っている方は、あまりいないと思います。そのため今回は焼肉屋の牛金ではなく、三国志の牛金について色々と紹介していきましょう。
曹仁の武将として活躍する牛金
牛金は曹仁の武将として江陵攻防戦に参加。この時、牛金は曹仁から300人程の兵士を授かり、城門を打って出るよう命令を受けます。
牛金は曹仁の命令を受けて出撃し、周瑜率いる呉軍へ向かって一直線に突撃していくのでした。しかし300程度では呉軍の大軍にかなうわけがなく、牛金の軍勢は包囲されてしまいます。曹仁は城壁から牛金が包囲されたことを知ると、数十人の軍勢を率いて出撃。
曹仁率いる騎馬隊は牛金の軍勢を救い出すことに成功し、誰ひとりかけることなく江陵城へ帰還することに成功するのでした。上記が正史三国志に記載されている牛金の唯一の活躍シーンで、正史三国志ではこれ以降の戦いに牛金が登場しません。
では他の書物では江陵攻防戦以降の牛金について描かれているものはあるのでしょうか。
北伐戦や公孫淵討伐戦で活躍する牛金
牛金は江陵攻防戦以降何をしていたのでしょうか。
牛金は江陵攻防戦以降、諸葛亮の第三次北伐戦の迎撃戦に司馬懿と一緒に参加したり、遼東半島で魏に反旗を翻した公孫淵討伐戦で功績を残していたようです。
更に牛金は蜀の将軍・馬岱が軍勢を率いて、魏の領土へ攻撃してきた際、軍勢を率いて迎撃し、1000人の蜀軍を討ち取る戦果を挙げています。このように牛金は江陵攻防戦以降、戦に明け暮れて功績を重ねて行った歴戦の将軍でした。
司馬懿に毒殺される牛金
牛金は上記でいろいろな戦で功績を残し、歴戦の将軍として活躍していましたが、司馬懿に殺害されてしまいます。
司馬懿はある予言によって牛金を恐れ、毒の入ったお酒を飲ませて殺害してしまいますが、司馬懿が恐れた予言とは一体何なのでしょうか。
それは「牛が馬に取って代わる」と書かれた石碑が見つかったことが原因です。司馬懿はこの石碑に書かれている牛が牛金だと考え、自分の勢力が牛金率いる牛氏に滅亡させられる前に殺してしまおうと考えてしまった事がきっかけで牛金を殺害。しかしこの予言は牛金に全く当てはまらない予言で、司馬懿の間違いで、牛金は殺害されてしまうのでした。
三国志ライター黒田レン
司馬懿が信じた「牛が馬に取って代わる」の予言のせいで、牛金を殺害してしまいましたが、この予言は一応当たることになります。しかしこの予言は牛金と全く関係ない牛氏で、更に司馬懿の曾孫の時代のできごとでした。
司馬懿の曾孫の時代、小役人の牛氏が司馬覲の妃・夏侯光姫と密通し、東晋の初代皇帝・司馬睿を生む事になります。上記が「牛が馬にとって代わる」の予言が実際に起こった出来事の内容です。
司馬懿が勘違いした予言は牛金に何の関係もなく、晋の時代の出来事を予言したものでした。司馬懿に勘違いされて殺害されてしまった牛金は、この話を知ったらやるせない気持ちになったかもしれませんね。
ついでにこの司馬睿ですが、それなりに優れた能力を持っていた人物でしたが、東晋王朝の力が微弱であったため、家臣の謀反にあってしまい崩壊の危機にされされてしまいます。しかし司馬睿は謀反を起こした家臣と和睦することで、何とか東晋を滅亡の危機から救い出すことに成功しますが、家臣と和睦をした後に彼も力が尽きて亡くなってしまうのでした。今回は牛金とちょこっとおまけで東晋の時代をお話させていただきました。
■参考 三国志武将辞典など
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