典韋の身長、なぜ不明?歴史の闇に隠された真実

2024年1月21日


 

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曹操を守るボディーガード典韋

 

 

典韋てんいと言えば曹操そうそう配下の豪傑中の豪傑。筋骨隆々な肉体をしており、威圧感も抜群の高身長192㎝のスキンヘッドで――というのは、某ゲームのお話ですね。とは言え、やはり典韋てんいと言われると豪傑、というイメージはあるかと思います。

 

スキッパーキ(はてな)

 

 

 

ですが実際の典韋てんいはどれくらいの豪傑っぷりなのでしょうか?そこで典韋てんいのことについて調べていく内に、ちょっと色々と考察してしまったのが今回のお話です。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操に仕えた武将、典韋という人物

悪来と呼ばれた典韋

 

 

典韋てんい曹操そうそうに仕えていたのは有名かと思いますが、その経緯含めておさらいいたしましょう。典韋てんいは友人のために敵討ちを手伝い、仇の首を持って市場に赴くと恐ろしくて誰も近づけなかったというエピソードを持っています。その後は張邈に仕えるも揉め事を起こして脱走、そして誰も持ち上げられなかった牙門旗を持ち上げたことで夏候惇が部下に引き抜きました。それ以降は曹操そうそうの元でその力を奮うことになります。

 

 

 

典韋ファン垂涎エピソード・十歩

典韋にボコボコにされる成廉

 

そんな典韋てんいの超有名エピソードと言えば「十歩」ではないでしょうか。曹操そうそうと呂布との戦いの最中、追撃してきた呂布軍に対して典韋てんいは短い戟をたくさん持つと部下を立たせて

 

「追手が十歩の位置に来たら声を上げろ」

 

と指示。追いかけてきた呂布軍が典韋てんいから十歩の位置に来ると部下は「十歩です!」と叫びます。すると典韋てんいは手持ちの戟を投げつけて敵を倒す、敵が十歩に、これを繰り返し、見事呂布軍を迎え撃ち、追撃を止めさせるまでに至りました。パワータイプに見えてテクニカル&スタイリッシュ!この逸話は凄くカッコいいですよね!

 

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典韋のパワーが唸るエピソードの数々!

大食い典韋

 

もちろん典韋てんいにはパワータイプの逸話も色々と残っています。有名な所では、愛用したのは大きな双戟であり、その双戟に関しても「一双戟八十斤を提ぐ」と囃されたと言います。八十斤は今の重量に変換すると約18㎏、この時点で典韋てんいの底知れぬ力が窺い知れるというもの。

 

曹操と張繍(張繡)

 

この八十斤の双戟かどうかは分かりませんが、曹操そうそうと張繡との酒宴の席では一尺ほどの大野を持って警護していたと言い、張繡の兵たちはその典韋てんいの様に恐れをなしたとも……正に鉄壁のボディーガード、といった振る舞いですね。しかし、この張繡と曹操そうそうとの諍いが、典韋てんいの行き先に暗雲を立ち込めさせることになるのです。

 

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涙無くしては読めない、忠臣・典韋の立ち往生

賈詡と曹操と張繍(張繡)

 

 

曹操そうそうと張繡は仲違いし、張繡は謀反を起こして曹操そうそうを襲います。曹操そうそうを逃がすべく典韋てんいは部下たちと共に、多数の張繡配下の兵士たちを相手に一歩も引かぬ奮戦を繰り広げるのですが……多勢に無勢、部下たちは皆死んでしまい、典韋てんいもその最期が近付いてきました。

 

絶命する典韋

 

 

 

典韋てんいは最期に敵に突進し、数人を殺し、大声を上げて敵を罵りながら亡くなったと言われています。三国志演義ではこれを脚色し、最期は敵を前に一歩も引かぬ「立ち往生」をしたとされていますね。どちらにせよ、主君を守っての壮絶な最期には違いはないでしょう。

 

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そんな典韋てんいの記録は、もちろん魏書にも記されています。典韋てんいがいなければ後の曹操そうそうは無かったかもしれないのですから、それも妥当と言えるでしょう。因みに許褚、ホウ徳と同じ巻に記録されていますよ。

 

ポイント解説をするセン様

 

 

で、ここで典韋てんいの身長が分かる……と思うかもしれませんが、そうは簡単には行かず。典韋てんいの体格に関しての情報は「立派な体格をしていた」としか記されていないのです。許チョには180㎝オーバーであるように記録されているのですが、典韋てんいの身長に対しての記載がないのです。そして見ていると、もう一つの疑問が出てきました。

 

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典韋の身長の謎が、あの謎に繋がっていく

許チョ(許褚)

 

 

 

先ほど名前が出ましたので、同じ巻に記されている二名の巻に少し触れましょう。例えば許チョの巻は「許チョ、字は仲康」という出だしで始まります。ホウ徳は「ホウ徳、字は令明」で始まっています。当然と言えば当然なのですが、これに対して典韋てんいは「典韋てんい」という出だしで始まるのです。つまり豪傑であり、曹操そうそう軍でも並外れた武将であり、曹操そうそうを命を賭して逃した典韋てんい。その典韋てんいは、字さえ残ってないのです。そこで筆者はある人物が思い浮かびました、蜀書に記録されている関羽の子、関平です。

 

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典韋と関平との意外な繋がりが読み取れた!?

関興と関平

 

 

関平もまた関羽の子でありながら、字が判明していません。ただし関平の場合は記録が少なすぎるため、

 

「字もなく、記録もなく、樊城が関平の初陣ではないか?」

「もしかしたら関平は未成年だったのでは」

 

という考察もされています。成人してから字を名乗ることも考えれば、関平の字が記録されていないのも納得です。そこで典韋てんいも、実は未成年だったのでは?と閃きを得ました。曹操そうそうは我が子の死以上に典韋てんいの死を嘆き悲しみ、遺体を取り戻して手厚く葬り、通りかかる度に典韋てんいの死を悼んだと言います。

 

それもこれも、まだ典韋てんいが若く、これからが期待できる青年だったからでは……という想像をしてみましたが、どうでしょうか。そうなると典韋てんいの身長が記録されていないのは、当時の基準からすれば「まだ大人になる前だからもっと成長する」と思われていて、さほど典韋てんいの身長を記録する必要性がないと思われていた……という想像をしてみました。幼典韋てんい説、皆さんはどう思いますか?派生作品だと、どっちかというと許チョの方が言動が幼かったりするように思いますが、新しい典韋てんいの姿、筆者はありだと思います。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

まあ典韋てんいが字を名乗るような身分ではなかった、とも考えられるのですが、敢えて今回は別の方向から考えさせて頂きました。曹操そうそうは後に郭嘉を失った後でも、郭嘉が若くして亡くなったことを悼んでいましたし、典韋てんいもまたそういう年齢だったのかな、と。

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

そう思うと曹操そうそうも嘗て、自分の失態で先行き明るい若者を失ったのですね……という所でふと閃くのが夷陵の劉備。ふとした英雄たちの共通点に想いを馳せつつ、今回は終わりにさせて頂きます。どぼーん。

 

参考:魏書典韋てんい

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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