日曜日の朝は幼稚園児や小学校低学年のお友だちにとって至福のひと時。スーパーヒーロータイムです。テレビを付ければ全身タイツの5色のヒーローたちがバッタバッタと朝っぱらから気持ちよく敵をなぎ倒してくれます。その痛快な戦いぶりに魅せられて世の男の子たちは正義に目覚めるのです…!最近は5人という型さえも破られているらしいスーパー戦隊たちですが、この5人のスーパー戦隊に匹敵する存在が『三国志』にも登場していますよね。
そう、蜀の五虎大将軍です。劉備と義兄弟の契りを交わした関羽グリーン・張飛レッドのダブルヘッド、そして公孫瓚の元で意気投合し、後に仲間に加わったクールなナイスガイ・趙雲ブルー、老いても若者には負けないわい! 黄忠イエロー、ちょっと危険な涼州の暴れ馬・馬超ブラック。
『三国志』をこよなく愛するお友だちも彼らの華々しさに魅せられたことでしょう。ところが、このスーパー戦隊・五虎大将軍設定、実は後付け設定だったようなのです…!
正史には「五虎大将軍」なんて無かった!
我らが愛する横山光輝『三国志』では、漢中王になった劉備が関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超を五虎大将軍に任命した際、関羽が「張飛や趙雲はともかく、何で老いぼれ黄忠と新参者の馬超が俺と同列なんだ!」とブチギレています。そのため、劉備が直々に5人を五虎大将軍に任命したのだと思われがちですが、実は五虎大将軍という官位は存在しませんでした。
陳寿が著した正史『三国志』には、どこをどう探しても五虎大将軍という記述は無く、それどころか裴松之が付けた注にも一切言及はありません。そして、『三国志演義』の元ネタ本と言われる『三国志平話』にも五虎大将軍は存在していないのです。というわけで、『三国志演義』オリジナル設定らしい五虎大将軍、一体どのような基準で関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超の5人の将軍が選ばれたのでしょうか?
なんで黄忠と馬超がいるのか?
関羽もブチギレていましたが、五虎大将軍の中にちょっとこの人違くない?と思われそうな人が2人います。
はい、黄忠と馬超です。旗揚げ当時から劉備に付き従ってきた桃園兄弟である関羽・張飛、そしてちょっと遅れて仲間入りを果たしたものの、やはり古参に分類される趙雲の3人で、三虎大将軍でもいいじゃんって感じですよね。
でも、黄忠と馬超が彼らに仲間入りを果たしたのには、ちゃんと理由があるのです。実は、この五虎大将軍設定は、正史『三国志』にその根拠を求めることができます。正史『三国志』の蜀書では、巻三十五の諸葛亮伝に続いて関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲の五人の伝がワンセットになった巻三十六が据えられています。ここで彼ら5人の伝は、まとめて関張馬黄趙伝とされているのです。
陳寿が5人をワンセットにした理由
そもそも、なぜ陳寿は彼ら5人をワンセットにしたのでしょうか?
もっと違うメンバーを入れたり、いっそ巻を分けたりといったことだってできたでしょう。しかし、陳寿はこの5人を蜀の武人の筆頭に掲げるにふさわしい人物だとある根拠を持って主張しているのです。それは、彼らが「蜀でどのくらい出世したか」です。関羽は前将軍、張飛は右将軍、馬超は左将軍、黄中は後将軍にまで出世しています。この4人は蜀の武将の中でも最高位についていたのです。ちなみに、残る趙雲については彼らと比べると出世こそしていないものの、劉備のそばでずっと護衛をしていたために他の4人に匹敵する存在であると陳寿に認定されたのでしょう。
実際けっこうブーたれ屋だったらしい関羽
『三国志演義』で黄忠と馬超の出世についてブーブー言っている関羽ですが、正史『三国志』でもけっこうブーたれ屋な印象を受けます。というのも、正史『三国志』の黄忠伝に次のようなエピソードが記されているのです。漢中王となった劉備は、黄忠を後将軍に任命しようと考えます。ところがそれを諸葛亮が諫めるのです。
「黄忠の名声はそれほど高くありません。それなのに関羽や馬超と同じ位につけるのは時期尚早ではありませんか?近くで黄忠の活躍を見ている張飛や馬超なら納得させられるでしょうが、遠くにいて黄忠のことをよく知らない関羽は不満を抱いて納得しないでしょう。」これを聞いた劉備はちょっと考えて、「私が直々に関羽を説得する」と答えたのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
あの諸葛亮が気をもむレベルの関羽のブーたれ屋っぷりとは一体どのようなものだったのでしょう?関羽のブーたれエピソードも、探してみれば意外とたくさんあるかもしれませんね。
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