三国志きっての暴れん坊で、制御できるのは義兄である劉備と関羽ぐらいのもの、というのが張飛のイメージではないでしょうか。「酒で失敗する豪傑」の象徴でもありますね。あまり絡みたくない相手NO1かもしれません。今回はそんな張飛の性格について考察していきましょう。
猪突猛進、イケイケの張飛
強い組織は、いろいろな個性的なメンバーがいて、それぞれが存在感を発揮して活躍しています。リスクを警戒し、注意深く周囲の変化に気を配る者もいれば、リスクを恐れず、自分の長所を活かしてどんどんプロジェクトを進めていくような、行動力のある者もいるわけです。
その点において、張飛は劉備軍に勢いを与える役割があったのではないでしょうか。小さな勢力が大きくなるためには、リスクを恐れず先頭をガンガン進んでいくような存在が必要なのです。猪突猛進は、計画性がない、臨機応変さがない、おバカ・・・・・・というマイナスのイメージが強いですが、時代を切り拓くパイオニアには必要な要素のひとつなのかもしれません。
暴走もありえる張飛
勢いだけでは、時には失敗もします。徐州で曹操から独立した際には、張飛は偽情報を流して敵を攪乱し、劉岱を撃退しました。その勢いで曹操の主力に夜襲をかけましたが、見事に見破られて大敗しています。結果としてこれが三兄弟離散を招くことになります。
さらに酒を呑むと張飛のイケイケ度はアップします。下邳の留守を任された際には、禁酒の約束を破り、さらに地元の豪族に暴力を振るって、呂布につけ入る隙を与えて徐州を奪われています。しかしこれらのエピソードは字が翼徳とされる三国志演義の話であり、字が益徳である三国志正史には酒で失敗して徐州を失ったとは記されていません。
強烈なパワハラによって自滅
張飛の最後は、戦場ではありませんでした。寝ていたところを部下に討たれたのです。理由は、張飛のパワハラです。劉備は日ごろから、「刑罰で人を殺し過ぎる。兵を毎日鞭で打っている」という張飛の行為を諫めていました。この劉備の心配は的中してしまいます。関羽の仇討ちで孫権の領土へ攻め込む準備をしている段階で、張飛は恨まれた部下に殺されてしまうのです。三国志でも最強ランクに位置する猛将だけに、張飛の死因はとても残念です。
戦場という特殊な環境
張飛のパワハラに関して肩を持つ気はありませんが、現代の日本と違い、彼らが生活していた環境は、殺し殺される戦場です。戦場で生き残れる強い兵を育てるためにも、張飛のような厳しいコーチは必要だったのかもしれません。小さな勢力が、大きな勢力と対等に肩を並べるためには、兵が精鋭でなければならず、リーダーが優しいだけでは、精鋭が育たないからです。
さらに劉備の仁徳を強調するためにも、適度な緊張感を保つためにも、張飛が発するプレッシャーや暴力性は大切な役割を持っていたとも考えられます。劉備の勢力が乱世のサバイバルを生き延びるうえでも、張飛の暴勇は鍵を握っていたのかもしれません。
三国志ライターろひもと理穂の独り言
劉璋配下の勇将である厳顔を、策をもって撃破し、漢中の戦いでは、曹操配下で戦上手な武将である張郃も酒を利用して破っています(正史では酒は関係ないようですが)。
必要に応じては猪突猛進の猛将となり、状況にあわせて用兵戦術も巧みにこなすことが、張飛はできたのです。もしかすると全体のバランスに気をつかえる性格だったかもしれません。ちなみに三国志演義の原典とされる「平話」での張飛はまさにバイオレンスの塊です。権威や権力を暴力でぶち壊す点が、一般大衆に支持された張飛の姿でした。
張飛が既存の価値観を破壊し、劉備が創造する。そんな役割分担が義兄弟の内にはあったのかもしれませんね。張飛は、劉備のために心を鬼にしてその役割を演じた可能性もあります。
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