魏の名将として知られる張遼(ちょうりょう)。張遼は合肥の戦い(ごうひのたたかい)で孫権(そんけん)を討ち取る寸前まで追い詰めた伝説的な活躍をした武将です。張遼は軍勢を指揮した戦での活躍は三国志最強クラスですが、個人の武に関しては果たしてどれほどの強さを持った武将なのでしょうか。今回は張遼の一騎打ちについてご紹介しましょう。
一騎打ちは本当に史実であったの?
そもそも論ですが、敵の将と味方の将軍が戦場で、一騎打ちなど行う事ができたのでしょうか。普通に考えたら、一騎打ちで勝てばメリットがいっぱいでウハウハですが、負ければ軍勢は大混乱でそのまま戦が敗北する可能性もあり、最悪な状況に陥るでしょう。
そのためあまり一騎打ちを行うメリットが無い様な気がします。果たして史実では一騎打ちが行われていたのでしょうか。正史三国志・魏書張遼伝を見てみましょう。すると張遼が敵将と一騎打ちをして討ち取った記載はありませんでした。三国志の時代には張遼伝のように一騎打ちなど行っていなかったのか。そんな心配をされているはじめての三国志の読者がいると思いますが、そんなことありません。
正史三国志蜀書・関羽伝に記述している一騎打ち
曹操の元に避難していた関羽(かんう)は正史三国志蜀書・関羽伝に顔良(がんりょう)を大軍の中で刺殺して討ち取ったと記載があり、しっかりと一騎打ちで顔良を討ち取っています。このように一騎打ちは三国志の時代にも行われていましたが、三国無双や三国志のアニメのようにそこらへんで一騎打ちが頻繁に行われていたワケではなかったのかもしれません。しかし三国志演義(さんごくしえんぎ)では張遼も一騎打ちで色々な武将と対決をしていました。
張遼と一騎打ちをした武将と戦績
三国志演義の張遼は色々な武将と一騎打ちをしていますが、どの武将と一騎打ちをし、戦績を挙げていたのかご紹介しましょう。張遼は三国志演義で楽進(がくしん)や夏侯惇(かこうとん)、袁尚(えんしょう)、凌統(りょうとう)などの武将と激闘を繰り広げています。張遼の戦績は生涯で6回程一騎打ちを行い4勝1敗一分けとなっており、それなりの戦績を残しています。しかし三国志演義では張遼よりもはるかに強い武将達がいました。
その武将の名前は蜀の五虎将軍(ごこしょうぐん)の趙雲(ちょううん)です。趙雲は生涯で33回も一騎打ちを行い、その中で姜維(きょうい)に負けた一回だけ。他は勝利もしくは痛み分けで引き分けて、三国志演義に登場する武将の中で、一騎打ちで1番の戦績を挙げています。一騎打ちランキングを付けるなら、趙雲が個人の武で三国志演義最強の武将になるでしょう。
正史三国志の中で一騎打ち最強の武将は誰か!?
正史三国志には一騎打ちの記載がほとんどありません。しかし一応一騎打ちが行われた記載が少しだけあります。それは呂布(りょふ)vs郭汜 (かくし)。孫策(そんさく)vs太史慈(たいしじ)馬超(ばちょう)vs閻行(えんこう)関羽vs顔良だけです。
そのためこの四回の一騎打ちの中から最強を決めるのであれば、レンの主観ですが、関羽もしくは閻行ではないでしょうか。まず呂布と郭汜の一騎打ちは郭汜が一方的に呂布に追い詰められて、もう少しで郭汜が討ち取られる所を部下に助けてもらいなんとか命拾いします。
もう少し強い武将だったら呂布が一番強いのかもしれませんが、郭汜が相手ではちょっと自慢できないような気がするので一騎打ち最強から外れてもらいました・・・・。孫策と太史慈の一騎打ちは互いの力らが拮抗し、途中でお互いの軍勢が援護しに来たこともあり、引き分けでした。
そのためどちらが強いのかわからない状態です。そして馬超と閻行の一騎打ちですが、閻行が一方的に馬超をボコボコにしている描写が描かれ、自分より格上の武将を倒しています。また関羽と顔良の一騎打ちは袁紹軍の二枚看板と言われた顔良を当時格下だった関羽が一撃で討ち取っています。そのためレンは閻行と関羽が正史の中で一騎打ち最強だと思うのですが、みなさんどのように思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は三国志の一騎打ち事情についてご紹介しました。残念ながら一騎打ちが史実ではあまりにも数が少ないのが実情でした。ゲームやアニメのような敵将同士が名乗りを上げて、戦場の真ん中で一騎打ちを繰り広げるている姿はほとんどなく、遭遇戦に近い状態だったのかもしれませんね。
参考 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書 今鷹真訳など
▼こちらもどうぞ